つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

*ZEN(禅)と知識の違い

禅は本来の自己がわかるということですが

心理学や哲学、道徳、学問や学術など

他と違う大きな特徴があります。

それは、なんだと思いますか。

 『不立文字』とか『教外別伝』といわれる部分ですが。

ことばで説明するとたった一文字『観』

観自在菩薩の『観』です。

 

観自在菩薩は、知っての通り般若心経の冒頭にでてきます。

宗派は違えどほとんどの仏教で読まれているお経です。

 

 

『観』というのは、観ずる。

同じ読みである「感じる」にも通じます。

観ずるというのは、知るのとは違って

観る、です。

観るといっても視覚のみるとは違うとこが説明しずらい

 

説明しずらいというのは、知識ではないということで

実際に自ら体験してみて、はじめて

こういうものかな~というところから始まります。

 

なので実技や指導みたいなのが重要になります。

水泳教室というのが、決して本を読むだけじゃなくて

実際に泳いでみることをやりながら、

泳いでいる人に交じって習得する要領と似ています。

 

といっても、競争じゃないし

合格不合格もないので

他より速くとか、

上手になるとか

先頭にいくなんていう

相対での基準とか判断みたいなのが

まーーーーったくあてはまらないんです。

 

交じってというのも特徴で、

一人よりも多数の方が感じられやすいので

坐禅会なり参禅会は、いろいろな意味でよい機会です。

 

泳いだことのある人にしか

泳いだときの心地よさとか感覚はわからないものです。

 

泳いだことのある人と泳いだことのある人にだけわかる

水泳の味わいや醍醐味といったものがあるわけです。

 

 

話は変わりますが

人というのは、なにか引っかかることがあると

なかなか、

幸せだな~なんて思えないし感じられにくいです。

 

それはつい意識が

考えているところへ向くという性質があるから。

 

人間関係だったり、体調や病気の症状だったり、

安定した収入だったり、仕事のことだったり、

なにか心配ごと、不安感、など

 

ざっくりとまとめると

生きていく為には、

 

なんとかうまく取り運ばなきゃというような

漫然としたサバイバル感みたいなものがある。

シンプルにまとめると、

自分の思う通りになるだろうかという・不安

思う通りにならなかったらどうしようという・恐怖

思う通りにならないという・不満

思う通りにしたいという・欲望

こういった不安・恐怖・不満・欲望を

4兄弟と名づけました。(笑)

 

この4兄弟の

どれかが多くなったり、強くなると

幸せといった安らいだ気持ちからは

遠く離れてしまいます。

 

また考え出すと1つだけではなく

2つ3つ4つ兄弟全部になってしまったり

2つ以上が複雑に絡まってしまって

身動きがとれなくなってしまって

もう絶望みたいなことになっちゃったり、

病気として出てきたり、なんだと思うのです。

 

ですから

禅で本来の自己と呼ばれる、

充分幸せ~~という感覚を妨げているのが

この不安・恐怖・不満・欲望に要約される

自我の「わたし」による思考です。

 

 その4兄弟をなくして恐れないようにしましょう。

または自我意識をなくしていきましょう。

考えないようにしましょう。

といった類のものが相対の世の中での解決策の要素です。

 

ところが禅では、それらを、

なくそうとか、

排除しようとか、

受け容れようとか、

許しましょうとか

ーーすべて、ないのです。

感謝しましょう、

がんばりましょうや、

努力もない、

がんばらないもない、

感謝しないでもない。

 

ただ、そのまんまのありのままを観る。です。

観るというのは、

いままでやったことがないので

いきなりはムリかもしれないけれど

上手に観なさいというわけでもないので

観れるときに観れるだけを観る。

禅は、ただこのことを続けていくだけです。

 

具体的には、

自分がなにか引っかかって怒ってるとしましょう。

まさに怒っている最中のときに、観るというのは

むつかしいのでスルーです。

スルーでOKなんです。

 

あとから、その怒ったことについて

思考がこだまして終わらないときに

 あー怒ってるなーーということに気づく、です。

 

怒っていることに、いいも悪いも判断しないで

あー怒ってるな~~とふわーーーーっと観る感じです。

詳しいやり方は

現場で説明の機会があればそのときに。

 

 

 そのトライ&エラーのくり返しです。

エラーというのは、忘れるということです。

あー観るの忘れちゃった~!!

といって

忘れたことにまた捉われたりしますから。(笑)

 

禅の会に参加された、とある社長さんのお話ですが

大事な教えを忘れないようにしようと

忘れない為わざわざ高価なブレスレットを購入して

肌身離さず身につけたそうです。

そのご

しばらく経った半年後に、

ふとブレスレットをみて

「あれ、どうしてこのブレスレットしてるんだろう」

と疑問に思った。

という、なんとも笑えない実話があります。

 

それぐらい、

わたし達は大事なことを大事だとわかりながら

日常の色々なことによって、

埋もれしまったり

後まわしになってしまって

えーっと何だっけ?となってしまいがちです。

 

まずはそこから。

忘れては思い出す、そのくり返し。

くり返しの継続で、自然に忘れないようになります。 

 

そんなところが禅の大きな特徴になります。

 

 

この観ることが、ちょっと実践できるようになると

なんだか人生がちょっとたのしくなったり

ちょっとラクだな~っと感じられるはずです。

 

考えないようにしましょう。

捉われないようにしよう。

不安に思わないようにしよう。

と思えば思うほど、

そうなってしまったりするものです。

ホントにそうなんですよ。

だから

考えないようにしよう。としないで

観るということがわかってくると

観ると、かならず変化が起きてきます。

 

どんな変化が起きるのか。

それはやってみてからの、おたのしみです。

 

ただ、そのくり返し。

くり返し、くり返し。

できないことばかりで、

ふいにちょっとできてたりします。

ちょっとできると、できないが続いたりします。

 

 なかなかすんなりできないところが、

むつかしいところでもあり

おもしろいところでもあるんです。

また、できるとかできないということに

こだわらないというところが

禅の大らかなところです。

 

 

ブログでお伝えできるのは限度があります。

また個々によっても、ケースバイケースで

ヒントやアドバイスがあると思います。

 

 

手始めとして

ぜひ坐禅や日常生活の観るという体験をやってみると

今まで体験したことのないような

おもしろいことが起こるかもしれません。

手始めといっても

禅ではみなが同じことをしているのですから

そこがシンプルであって、

ものすごーく深いところなんですけどね。

だから禅には卒業もないです。

 

 

ブログだけでは片手落ちとは思い

ブログ文をやめようかな、と思いつつ。

まあ、ブログだけでもいいか~と思い

今回も書いてますーー。

♬着てはもらえぬセーターを・・・編んでます♬

 

 

ZEN(禅)と知識の違いは

絶対と相対のちがいの理解のはじまり・・。