つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

先人のことば・教え

*「なにもない・・・」が存在している

ことばでは伝えられない感覚を あえて表現してみると「なにもな~い」というのが在る。 これを坐禅やなにかの折に感じることがあるかもしれません。 それは、名前をつけることもできず 触ることもできず 眼にはみえなくて 匂いもなく ただ感覚でしか認識でき…

*3つのre・・・

50歳を過ぎる頃から、 からだの変化や心境の変化から いままでのやり方でなく、 違うやり方というのがあるのだろうな~というのを 感じるようになりました。 そういったいままでのやり方に違和感を感じながら 新しいやり方を探したり試してみながら数年過ご…

*比べることをしないでいるのは幸せ感のはじまり

最近なにかと話題のアドラーですが なんとなく禅に似たところがあるのかなーなんて風に捉えています。 同じ アドラー関連の、とあるフレーズが気になった記事。 「わたしには幸せになる資格がない」 こんな感じに無意識に思っている方は 意外といらっしゃる…

*青空と坐禅へのいざない

うたた寝をして起きたら、外が明るくなっていたので窓を開けたら 朝一番の透き通った青空が広がっていました。 思いつきで書き記しているブログですが 禅に興味をもってくださる方も現れて嬉しいです。 実際に坐禅のやり方をお伝えしたいところですが 「場づ…

*掘り起こし「白隠禅師『般若心経毒語註』から 2014/10/26」

江戸時代の禅僧である 白隠禅師(白隠慧鶴 - Wikipedia )が 般若心経について 毒語(毒舌)を吐かれた本が「毒語心経」です。 毒舌というといかにもいやしい言葉ですが、 誉めようにも誉める言葉がないから悪口を吐かれたのです。 「般若心経毒語註 」ー山…

*坐禅している「わたし」は誰ですか

坐禅や探究を始めて間もなく多くの方々は、 こんな質問がやってくるのかと思います。 「坐禅をしているわたしとは一体誰ですか?」 じつは、とっても深いです。 ことばで表せないんです。 それで、 「さあー誰でしょうー」とこたえると、 質問した相手は、 …

無駄なことは、本当に無駄なのだろうか

やっても得にならないことや、骨折り損のくたびれもうけだとか言われること、無意味なこと、は思考からみたらとっても嫌いなものです。 そういったものは、なるべく避けて、簡単に、効率よく、得になることの方が断然心地よいです。 では、無駄なことって本…

満足というもの

満足というのは、わたし(自己)においての視野の範囲においてだけ感じられるものではないのかなー。 もっと広い範囲においては、わたし(自己)という基準がなくなってしまって、満足や不満という意識はないのが本当だと思う。 そして不満足というのは、わたし(…

*おもかる石

伏見稲荷が外国人に人気であるということから、 「おもかる石」というのがあるらしいです。 石を持ち上げてみて、重いと感じるか、軽いと感じるかで、 思いが叶うとか叶わないの占いのようです。 ちょっとシビアな見方になってしまいますが、 思うにどちらに…

*さとり・・・・

さとりとは悟り、覚り、差取り。 自我はものごとを分ける見方をします。 これとあれ、いまと未来、過去といま、わたしとあなた、 この人とあの人、この国とあの国、この出来事とあの出来事、 よいと悪い、できたとできない、勝ちと負け、損と得、 憎いと可愛…

2つの詩

子どもの頃から詩やエッセイのようなものが好きです。 その中で特に心に留めておきたい、またこちらの詩そのもののような人生でありたいと思うことばがあります。 ー 「水の如くに」山田無文 - 水の如く 淀みなく さらさらと流れたい。どんなよいことがあっ…

主語を変えてみる

わたし達はいつも平和や幸せを感じていたくて、 様々な行動をとっているといえるかもしれません。 幸せになりたい~、 本当に心から幸せと実感できることを体験したい~、 もしくは苦しみから逃れたい、 少しでも苦しんでいないところにいたい、 平和な心地…

*ほーーーっとしたくつろぎは立派な坐禅

禅を実際に取り組んでいくと 坐禅することや瞑想することに 無意識に捉われてしまうことが起こったりします。 坐蒲(ざふ)の上で足を組んで坐ることをしてみても、 かえって疲れてしまったり、 うまくいかないなーという感じで時間が過ぎたり・・。 坐禅や…