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つながる 海と空と水の色

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて書き記しています。元来の幸せ感が実感できない時にわたし達は不安や不満になり迷い続けます。各々にもれなく備わっている本来の感覚に触れたり気づくことで充足されますが忘れてしまい様々な苦しみを経験します。その感覚は右脳で味わってみるとなんとな~く感じられるものです、右脳でほわ~っと読んでくださると新たな気づきがあるかもしれません。

「しあわせの隠れ場所」 掘りおこし2012/12/13

掘りおこし 2012から

『しあわせの隠れ場所』というのは、映画のタイトルです。 

しあわせの隠れ場所 [DVD]

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2009年に上映されたサンドラ・ブロック主演で、ある黒人少年の実話に基づいた物語です。TV放映で久しぶりに観ました。
その中で『はなのすきなうし』という絵本が印象的な場面があるのですが、当時初めてその本を読んで「人の個性は違っていていいんだよねー」という風に感じていました。 

はなのすきなうし (岩波の子どもの本 (11))

はなのすきなうし (岩波の子どもの本 (11))

 

 改めてそのことを思い出してみると、人は個性が違っていていいのに、人との違いが認められなくて苦しんだりしている・・なんて風に思っていたのだと思います。

そして時間が経って映画をもう一度みてそのことについて思ったことは、自分は他の人と違っていていいのだけれど他の人やまわりが認めてくれないから「苦しい」と思っていたのだなぁーということです。

 他の人が認めれくれればラクになるのにという「期待」や「他人がこうするべき」とか「人はこうあるべき」というのがあり、自分も他の人に認められたいという欲望・欲求があることに気づきました。

 欲求というのは、生きていく上で自然に色々と出てくるものですが、仏教でいう愛を渇望する(渇愛)に通じるところもあります。欲求が多いと迷いや苦しみが多くなってしまいます。

渇愛とは、愛が求められなくて苦しむということですが、自我(エゴ)は何か足りない、渇望感みたいなのが無意識にあり感じていて、それが何かの折にぷわっと出てきて、 意識しないで「求める→得られない→苦しむ」ということが起こるのだと思います。

だから、ただそのことに自覚している、ということです。
そのことに気づいている。
そうすると、少し風が吹いて、少しの間ができて、軽くなります。


また、少年の台詞の中で怖い時には目を瞑って3秒数えるというのもありました。

それは、何かあった時に(起こった時に)映画では怒って反応して暴力を起こすことがないというニュアンスだったと思いますが、それもやはり自我は何か言われたらすぐに反応して行動するのと同じだと思いました。

少し間をおいて対応すると余計なトラブルが少なくなるものです。

ものごとに反応するのに続けて、グルグルと巻き込まれないようにする一つの知恵みたいなものです。