つながる 海と空とkumo

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところを記しています。わたし達は元来の幸せ感を忘れていることで不安やときに不満になり迷い続けます。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは禅ともつながっていて、さらに本当のしあわせにも通じる扉でもあります。

経験と比較があるといつまでも幸せになりにくい?!

この度引っ越しをして気づいたことなのですが、
人によっては引っ越し先は十分環境がよいにも関わらず、そんなに満足してないというケースもあるのだなーということがわかりました。

以前と比べて、こんなお店がたくさんあったとか、あのお店があったとか、過去の経験と比較してないものにどうしても意識が向くようです。

自我は、ないものにばかり目を向けます。

今よりももっとよいもの、質の高いもの、収入の多いもの、心地よいもの、何か得られるものがないと満足できないのです。

かと思えば、それが手に入ったからといってずーっと満足し続けることができなくて、さらに求めます。

なにか自分の基準というものから離れることがなかなかできません。

基準というものがあってこその幸せしかわからないものです。それはそれで仕方のないことです。基準があれば当然比較ということが無意識に働きます。これぐらいであれば満足とか、もっとこうでなければイヤだーとか。それは相対の中の幸せです。相対の中の幸せから抜け出さない限りは、いつまでも本当の幸せへシフトすることができません。

 

これまでがこうであったのでこれからはこうであれば幸せとか・・。基準がどんどんレベルアップしていけば、心からの幸せを得られると自我は思ってしまいますが、ちょっと違います。

比較も経験もない、絶対のいま目の前にあるものにこそ感じられる感覚こそが本当の幸せ感です。

 

例えばある世界的に有名な企業の数千億単位の個人資産のある経営者さんは、さぞ満足で幸せかと思いきやそうでもないそうです。誘拐されないかと心配で毎日不安で眠れないそうです。また業績が下がってしまうのが心配だそうです。そして病気にならないか不安で仕方ないそうです。また病気にならなくとも、死にたくないと思うそうです。

自我というのは、どこまでいっても満足しないものです、それでいいのです。自我のやることをやりながら、感覚的な静けさというか心地よさを感じていくことをやっていきます。

自我のやることに巻き込まれると苦しいです。自我のやることは、いいとか悪いとか判断せずに観ます。もし判断してしまったら、それも観ます。

判断せずにニターっとみます、そうすると意図も簡単にすーーーっと流れていくことが次第に理解されてくることと思います。

なんにもないけど、なんだか幸せだなーという感覚が自ずとやってきたりします。それは本当の幸せの感覚です。ただ存在している消えない幸せの感覚です。