つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

掘り起こし「選択することと幸せであるということ 2012/12/30」

幸せには、2種類あると思っています。

1つは、頭でこうしたら幸せだと思うことをするということ。

もう1つは、いま目の前にあることを体験しつつ幸せだなーと感じられること。

選択するということは、当然こうしたらいいだろうという予測や経験によって、

よりよいものを選ぶ・進んでいくということです。

それは、当然いまよりももっと幸せになる為にという思いがあります。


もっと幸せになる為にというのは、

いまは幸せではないという思いがベースになっていますので、

未来に幸せではない思いを投影してしまい、

仮に結果が思うようになったとしても、

いまは幸せでないはないという思いが引き寄せられます。

そして、実は幸せというのは感じないと得られないものであって

感じることによってだけ幸せになれるということです。

正確には幸せであるということに気づくことができます。

ということは、

望むことが叶う・よりよいものを選択する・思い通りになるということと

幸せということは必ずしもイコールでないということです。

もちろん選択して、あーよかったー幸せということもあるでしょうが

全部が全部そうなるとは限らないということです。

思う通りになっても、こんなはずじゃなかったということは多々あるものです。

なので幸せでいるということは、

いま幸せだと感じられればそれでOK・それで十分なのです。

ホントに心からそう思えると、

ガンバって思わなくてもいつの間にか幸せな状況になっていたりするものです。

それは幸せだなーという思いを投影することになる、

シンプルな引き寄せです。

 

では、望むことはよくないのかというとそうでもありません。

そうなったらいいけれども、ならなくてもどちらでもいいなーぐらいで、

結果に執着せずに望んで、やることはやります。

要は執着しないで、

いまの幸せを感じながら必要なやることをやるのが最大の秘訣です。

これは坐禅の折にも共通しています。