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つながる 海と空と青

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて、思いついたまま描き記しています。元来の幸せ感を忘れているとわたし達は不安や不満になり迷い続けます。万人にもれなく備わっている本来の感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさがあるだけです。

愛の南京錠って

ネットで話題になった記事ですが、パリのセーヌ河にかかるポンデザール橋などにかけられた大量の南京錠の除去作業に入ったというもの。
恋人たちが南京錠をかけて愛を誓うというのが起源だとかそうでないとか・・・。

永遠の男女の愛ってハードルが高いなーとつい思ってしまうわたしは、恋人たちが永遠の愛という理想があり稀有な可能性を夢みて、いまの愛が永遠に続くべく深層心理の表現かしらと思ってしまいます。

そもそも男女の永遠の愛って別になくてもいいのではないかとシンプルに思ってしまいます。周りがどうであれ本人が幸せであれば、その形態やカタチがどうであれ別に何でも構わないのではないかというのが基本にあるからです。

男女に限定されると相手が必要なわけで、しかも相手の気持ちも長い間に多少変化するでしょうし、自分の気持ちもやがて変化していくものだと思います。ただし長い期間一緒にいて結果幸せだったというのはとてもステキな愛だなーと思います。

要は幸せをカタチにあてはめてそこから出発してしまうと、とてもハードルが高くて、可能性がとっても低くなってしまうと思うのです。

恋人ができればとか、結婚できればとか、出世すればとか、年収がいくら以上になればとか、カタチを願うと数限りないです。探究もそうですが、悟りを得ればとか、坐禅でいい瞑想ができればとか、~すればというカタチに当てはめることこそ幸せとは逆の方向に向かっています。~すればというのは、まとめて言い換えると自分の思い通りになればということです。

まわりを見渡して幸せそうな状況の人、幸せ感をアピールしている人の真似をしなくても、比較しない自分だけが感じられる幸せ感というのはいつもあります。いまの自分ではダメだから幸せではないのであって、そのままの自分というものに降りていくと何か安心した感じや平和な感じ、落ちついた感じなど人によってさまざまですが、なにか感じられたりします。

その感じるということを体験するのは思考とは一切関係のないところになります。

普段から思考で行ったり来たりするクセを少なくして、自然に触れたり、からだの感覚に意識を向けたり、スローライフを送ったりすることによって、今まで感じられなかった穏やかで幸せな感覚はいつでも誰でも感じられることと思います。