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つながる 海と空と水の色

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて書き記しています。元来の幸せ感が実感できない時にわたし達は不安や不満になり迷い続けます。各々にもれなく備わっている本来の感覚に触れたり気づくことで充足されますが忘れてしまい様々な苦しみを経験します。その感覚は右脳で味わってみるとなんとな~く感じられるものです、右脳でほわ~っと読んでくださると新たな気づきがあるかもしれません。

習得のやり方

シンプル禅

それぞれ各個人によって、ものごとの習得の仕方というのは違ってくるようです。勉強にしても、実技のようなものにしろ、スポーツや音楽にしろ、各々のやりやすい、慣れ親しんだ、より効率的なもののやり方というものがあるように思います。

今までこういうやり方をやってきてよかったという実績を感じられる場合は、そのやり方でまずやってみます。しかし、それでもうまくいかなかった場合は違うやり方をやってみることになります。

そこではメンターとなる人をみつけて、本であったり、講座やレッスンなどであったり、そういったものを活用するようになるかと思いますが、なかなかすんなりと自分に取り入れられるかというと全部が全部そうではないかなと思います。

習得したいと思うものの種類にもよると思うのですが、それよりもまず自分を知るということも大事な要素になるのかなと思います。自分の質を知るというか、こういう考え方をするとか、こういうやり方をする傾向というのが、あらかじめわかっていれば、手順を踏んで効率よく進んでいけるのではないかと思います。

個人的な感覚では、数秘とマヤはとても役に立つものであると感じています。また傾向というものからみると星占いもなかなかよいアドバイスになりました。

この3つは、わたしにとって外せない要素なのですが、その下地となっていたものに別のものがあったことに気づきました。

銀行に就職した際に、研修を約3週間集中して受けたのですが、その中でもいわゆる札勘(さつかん)とです。制限時間の中でどれだけ正確に数えていくかを計るテストのクリアに向けて銀行業務の残業が終わってから毎日毎日くり返し練習したことがあります、家に戻っても練習で、なにかにつけて練習、テレビを見ながらも手は動かす、寝るまで練習といった感じで・・・そのくり返しくり返しです。とにかくひたすら手を動かす、練習、手を動かす、のくり返しです。

そんなことが今となっては知らず知らず自分の貴重なベースのようなものになっていることに気づきました。

その後もなにか取得することが楽しくなって、色んなものに興味をもっていた時期があったことを思い出します。

 

坐禅といわれるものも、最初は習得の要領で取り組んでいましたが段々とそういったものではないということがわかってきて、それからは少し坐禅を違う見方でみるようになり、今までうまくいかなかったことがラクに思えるようになった気がします。約15年前に縁があって坐禅に取り組むようになったのですが、坐禅の醍醐味と呼ばれるようなものが何となく感じられてきたのはここ近年のような気がします。坐禅はすぐに結果が出るようなものではないですし、また結果を期待して坐るものでもありません。ただやり続けたことのある人しかわからない醍醐味というものがあるというのはやはり魅力的ですし、坐禅に完成(終わり)はないということがずっと興味を失わないでいる要素になっているようです。