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つながる 海と空と青

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて、思いついたまま描き記しています。元来の幸せ感を忘れているとわたし達は不安や不満になり迷い続けます。万人にもれなく備わっている本来の感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさがあるだけです。

主語を変えてみる

 わたし達はいつも平和や幸せを感じていたくて、様々な行動をとっているといえるかもしれません。

幸せになりたい~、本当に心から幸せと実感できることを体験したい~、もしくは苦しみから逃れたい、少しでも苦しんでいないところにいたい、平和な心地が続いて欲しい、かもしれません。

 

 

仏教では三法印といって、根幹となる三つの教えがあります。

諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」に「一切皆苦」を含めると四法印となります。そのうち「諸法無我」とは、あらゆるものはわたしのものではない、法すなわち教えでさえもわたしのものとしてはならない、という感じです。要するにあらゆるものをわたしのものとしないということです。ここでいうわたしとは、自我のわたしです。自我があらゆる場面で介入されてくると様々な苦しみや困難を経験しやすくなってきます。自我というものは最初からないのですが、それを実体あるものと錯覚するがゆえに苦しくなります。

自我は元々なかったということが理解できれば、わたしのものは何もない、ということはすべてがわたしである、いわゆる「宇宙即我」の感覚の理解が起こることもあるようです。

 

 

映画が好きでよくみるのですが、昨日みた「Ray」という映画は盲目のシンガー、レイチャールズの生きざまのようなものがよく表れていて面白かったです。

 

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レイチャールズは7歳の時に失明してしまうのですが様々な悲しみを封印するかのように麻薬を常用しつつ、ヒット曲を立て続けに飛ばしていきます。

ある女性と結婚してツアーの為に家を空ける際にはhomeのことを「わたしの家」と呼んでいましたが、歳月が流れ色々な経験を通り抜けて麻薬からも解放されてからのレイは、「(妻と子ども達の)わたし達の家」と呼び方が変わっていました。ストーリーの中では特にこの違いがひときわ印象的に感じられました。

 

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www.youtube.com

 

 

日常の中でつい「わたし」が習慣となっていることのたくさんの中において何か「わたし達」という主語に変えてみることができるものがあるとしたら、少しだけ新しい方向性や広い視野、気づかなかった幸せというものが感じられてくるかもしれません。
もしくは主語をやめてみるというのもいいかもしれません。

 

諸法無我」の手始めとして、大きな「わたし達」の視点からものごとを感じ、行動し、言葉を使っていきたいものだと思います。この「わたし達」の規模がどんどん広がっていくと、やがて今までまったく気づかなかったことに気づくことが起こるかもしれません。それはとても魅力的ですし、とってもおもしろいことに思います。

なにより目の前の出来事に一喜一憂することがほとんどなくなって、今まで感じられたことのない幸せ感をホンの少しでも感じられることと思います。

 

このホンの少しの幸せ感が実はとっても大事なものであることは確かなことです。

  

弓と禅

弓と禅

 

 

*1:代表曲のこちらはレイチャールズの故郷であるアメリカジョージアの州歌にもなっています

*2:まさに「We are the world」ではリードボーカルをされていました