つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

主語を変えてみる

 わたし達はいつも平和や幸せを感じていたくて、

様々な行動をとっているといえるかもしれません。

幸せになりたい~、

本当に心から幸せと実感できることを体験したい~、

もしくは苦しみから逃れたい、

少しでも苦しんでいないところにいたい、

平和な心地が続いて欲しい、かもしれません。

 

 

仏教では三法印といって、根幹となる三つの教えがあります。

諸行無常

諸法無我

涅槃寂静」に

一切皆苦」を含めると四法印となります。

そのうち「諸法無我」とは、

あらゆるものはわたしのものではない、

法すなわち教えでさえもわたしのものとしてはならない、という感じです。

要するにあらゆるものをわたしのものとしないということです。

ここでいうわたしとは、自我のわたしです。

自我があらゆる場面で介入されてくると

様々な苦しみや困難を経験しやすくなってきます。

自我というものは最初からないのですが、

それを実体あるものと錯覚するがゆえに苦しくなります。

自我は元々なかったということが理解できれば、

わたしのものは何もない、と

いうことはすべてがわたしである、

いわゆる「宇宙即我」の感覚の理解が起こることもあるようです。

 

 

映画が好きでよくみるのですが、昨日みた「Ray」という映画は

盲目のシンガー、レイチャールズの生きざまのようなものがよく表れていて面白かったです。

 

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レイチャールズは7歳の時に失明してしまうのですが

様々な悲しみを封印するかのように麻薬を常用しつつ、

ヒット曲を立て続けに飛ばしていきます。

ある女性と結婚してツアーの為に家を空ける際には

homeのことを「わたしの家」と呼んでいましたが、

歳月が流れ色々な経験を通り抜けて麻薬からも解放されてからのレイは、

「(妻と子ども達の)わたし達の家」と呼び方が変わっていました。

ストーリーの中では特にこの違いがひときわ印象的に感じられました。

 

*2

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日常の中でつい「わたし」が習慣となっていることのたくさんの中において

何か「わたし達」という主語に変えてみることができるものがあるとしたら、

少しだけ新しい方向性や広い視野、

気づかなかった幸せというものが感じられてくるかもしれません。

もしくは主語をやめてみるというのもいいかもしれません。

 

この「わたし達」の規模がどんどん広がっていくと、

やがて今までまったく気づかなかったことに気づくことが起こるかもしれません。

それはとても魅力的ですし、とってもおもしろいことに思います。

なにより目の前の出来事に一喜一憂することがほとんどなくなって、

今まで感じられたことのない幸せ感をホンの少しでも感じられることと思います。

 

このホンの少しの幸せ感が

実はとっても大事なものであることは確かなことです。

  

 

無我と無私 禅の考え方に学ぶ

 

 

 

 

 

*1:代表曲のこちらはレイチャールズの故郷であるアメリカジョージアの州歌にもなっています

*2:まさに「We are the world」ではリードボーカルをされていました