つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

何の為に生まれてきたのか

いきなりですが、わたし達は何の為に生まれてきたと思われますでしょうか。

それは本当の幸せ、絶対の幸せの境地を感じるために生まれてきたといっても間違いではないと思います。

その為に仕事をしたり、たくさんの人の評価や信頼を得るようなことをしたり、お金儲けをしたり、自己啓発を受けたり・・・いろいろです。

シンプルにまとめるとわたし達が様々な行動をするのに共通するのは、実はその行動をした時に感じられる幸せの感覚を感じたいからということです。

多くの場合、こんなことができたらとか、こういう風になったらとか、これを成し遂げたならといったゴール思考つまり欲望を叶えることによって、未来に幸せを感じることを目標とします。その為にいまはガンバってなにかをしてとか、いまはガマンしてとか、とりあえず最大限のできることをしてなど。欲望をクリアしたら幸せになると勘違いしています。

 

実は引き寄せの法則や禅からみると、いま幸せな感覚を感じているのでなければ将来の幸せは寄ってきません。

ではどうしたらよいのでしょうか。

いま幸せな感覚を味わえばよいのです。なにも思うようなことが成し遂げられていなくても、シンプルな幸せな感じで十分です。

それはこの夕日美味しいなーであったり、
親切にしてもらって有り難いなーであったり、
装飾がきれいだなーであったり、
笑って楽しいなーでもいいです。
さらにはお風呂に浸かった時に一瞬感じられる得も言われぬ心地よさだったり、
お腹が空いた時におにぎりをほおばった時のおいしさだったり、そんなような感覚です。

 

もう少し具体的に説明するなら、思考で考えていない時の感覚です。美味しいスイーツを一口食べた瞬間は思考であれこれ考えていないはずです。味覚そのままに、「あー美味しいなー」と考えずに感覚しています。

思考が浮かんでくる、ホンのちょっとだけ前(1秒もしない前)の何も思考のないところの感覚です。思考と思考の間にある感覚。

 

坐禅や瞑想においては、思考でなくこの感覚に意識を向けていくことをしていきますが、日中においても心地よさや幸せな感覚を向けていくように過ごすことが大事です。

心地よさや幸せな感覚というのは言葉で説明しづらいものですが、人によって様々です。からだが緩んだ時の感覚であったり、息をすーっと吐いた時の感覚であったりです。自分だけが感じられる幸せな感覚というのをみつけてみるのもおもしろいものです。

この幸せな感覚をドンドンと感じていくことがホントの幸せの境地へシフトが起こる手始めとなります。

まずは思考でグルグルしないところの、幸せな感覚をできる分だけ少しずつ日常で感じることを続けていくことが始まりでもあり、実はゴールでもあったりします。