つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

微笑

高校のクラスメイトで名前の「笑美」(えみ)さんがいました。人生で『えみ』さんは何人か出会ったことがありますが、漢字で「笑美」さんは一度しか出会ったことがありません。今日はふとそんなことを思い出して、微笑について書いてみようかなと思います。

 

禅や仏教に魅かれてしまうのですが、仏像にも色んなお顔があってやはり魅かれるお顔の像がいくつかあります。

その1つが鎌倉の東慶寺にある「水月観音菩薩半跏像」水面に映し出される月を眺めながら、この世の中の無常さを観照しておられるかのようです。

 

2つめが中宮寺にある「弥勒菩薩半跏思惟像」

聖徳宗 中宮寺 公式ホームページ

 

これら仏像の数多くは、禅でいうところの言葉で表現できない至福の境地(涅槃)が表現されているかのようです。

 

有名な話ですが釈尊がいつもの法話を話すタイミングで手に蓮の花をもったまま何も言葉を発しなかった時に、大勢の弟子達がどうしたのだろう、今日はお話はないのかなとそわそわしている中、弟子の一人だけが釈尊の真意を理解してニッコリと微笑み、釈尊がその弟子に蓮の花を授けたという逸話もあります。

「拈華微笑」 禅語に親しむ

  

なんだかなーと受け容れられない状況や、わからないなーとか、できないなー、違うんだけどなー、など自我(エゴ)が考えそうになったら、これら仏像のような微笑の心持ちでニターッと、「まっいいっかー」とみれるような余裕というものを生活の中で大事にしていきたいものです。もし捉われたら「それもまたよし」でニターッです。(笑)

 

どうしても思考に偏ってぐるぐるしがちな方は煩悩退散の不動明王など明王の類の担当になるようです。(笑)

といっても不動明王大日如来の化身といわれていますから、厳愛として姿を変えて形をとったものであることは確かです。

なので、すべてが大いなる愛に迎えられているともいえるかもしれませんね。

その自覚を育てていくというか、自覚するというか、自覚するわたしをみていくというか、そういったことが「探究」に付随してくるものです。

 

「微笑」の漢字を使って「微笑ましい」という言葉もあります。

「微笑ましい」とは、「思わず笑顔になるさま」で

心が和む、ほんわかする、口元が緩む、思わず笑みがこぼれる、などの類語が表すように、なんとも「ほっこり」と「じんわり」と自然に幸せな気分になってしまういい感じのエネルギーに感じます。

 

日常の暮らしの中で、微笑ましいとつい微笑む機会を多くみつけたいものです。