つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

2つの詩

子どもの頃から詩やエッセイのようなものが好きです。

その中で特に心に留めておきたい、
またこちらの詩そのもののような人生でありたいと思うことばがあります。

 

 

ー 「水の如くに」山田無文 - 

水の如く 淀みなく さらさらと流れたい。

どんなよいことがあっても、どんな悪いことがあっても、

後ろを振り向かずに、前へ前へ、さらさらと流れたい。

左右の岸にどんな美しい花が咲いておっても、

どんなに楽しく小鳥が鳴いておっても、

その美しさをほめながら、

その楽しさをよろこびながら、

足ぶみせずに流れよう。

流れる水は凍らぬとか。

流れる水は腐らぬとか。

それが生きておるということであろう。

田畑をうるおし、草木を養い、魚を育てながら、

決して高きを望まず、

低い方へ低い方へ、

水の流れる如く、わたくしも流れたい。

 

 

 

ー 「生きる」谷川俊太郎

生きているということ

いま生きているということ

それはのどがかわくということ

木漏れ日がまぶしいということ

ふっと或るメロディを思い出すということ

くしゃみをすること


あなたと手をつなぐこと



生きているということ

いま生きているということ

それはミニスカート

それはプラネタリウム

それはヨハン・シュトラウス

それはピカソ

それはアルプス

すべての美しいものに出会うということ

そして
かくされた悪を注意深くこばむこと



生きているということ

いま生きているということ

泣けるということ

笑えるということ

怒れるということ

自由ということ



生きているということ

いま生きているということ


いま遠くで犬が吠えるということ

いま地球が廻っているということ

いまどこかで産声があがるということ

いまどこかで兵士が傷つくということ

いまぶらんこがゆれているということ


いまいまがすぎてゆくこと



生きているということ

いま生きているということ

鳥ははばたくということ

海はとどろくということ

かたつむりははうということ



人は愛するということ


あなたの手のぬくみ

いのちということ

 

 

    

「生きる」ということは「生きている」ということ。

 

生きているという実感は、いのちあってこそ味わえる感覚です。
そして、いまここにいる時にしか感じることはできません。

例えばわたし達に気づきが起こっても
本来の自分を「生きてこそ」でないと本物ではなく、
「動」の中に「静」があり、「静」の中に「動」がある。


「死」があるから「生」があり、「生」があるから「死」がある。

生死というものがもともとないということ。

つまり不生不滅であるということは
「生きている」ことそのものの実感を感じられたときに完了され、
つながるものだと感じます。