つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

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2006/5より書き始めていた約10年のブログがトータルアクセスを25000超えました。

更新していないのに数が増えていることにビックリしたり面白いなーなんて思ってます。2001年より禅の研修会に参加を続けていることから、変化や感じたことなどを備忘録のように残しておきたいなーという思いから始まったブログなのですが、書くことによって自分ってこんなこと感じてたんだーとか、こんなこと思ってるんだなーとか改めて気づくことができました。

 

一区切りついたら気持ち的にまたゼロから戻ってみるというのが、なんだか自分にとっておもしろいやり方です。

なので今回このような記事を書くことになりました。社長になったら新入社員の心境に一旦戻ってみる、みたいな感じです。(笑)

社長になったら社長ヅラして急に威張り出すようなタイプの人がもしいたら、確実に嫌いなタイプなんです。(笑)

わたし悟りましたーっていう人がもしいたら、間髪いれず「悟ったわたしってどこにいるんですか」ってツッコミたくなるタイプです。実際言葉には表しませんけど。(笑)

新入社員風にみえるけど実のところ中身は社長、みたいな人が好きです。(笑)

役割や義務それに肩書とか性別とかなんなの?って感じで小さい頃から基本ずっと思っていたので、権力志向的な世界に疑問を感じたりしてたような気がします。

禅が入ってきてから、そういったものが気にならなくなってきたり、あってもいいかーと軽くなります。そういった対象があるから主体であるわたしがあるのですが、主体も対象もないところというのが元々本来のわたしなんです。感覚的に理解できると、心から安心して平和で幸せで自由な感じです。

その感覚は言葉では表現できない感覚ですが敢えて表現すると、心地よさとか平和とか安心した感じとかです。

 

そういった心地よさというものを坐禅や日常の中で感じていくこと。

やることはたったこれだけ。

 

これで一体そんなことがわかるのか疑問に思うのですが、途中でちょっと理解が起こったりして、そうなのかなーぐらいの疑問のレベルに変化します。それからなんですが徐々に理解というのではなくて、バーンって理解されたりします。

自我というのは、あるようにみえて実際には元からないものだったということがわかります。

要は個人のわたしがどう思おうと、どう感じようと、どうなろうと、人生というのは自分を本当の幸せに導く為に人生が動いていた。みたいなことが心の底から理解できて、腑に落ちて、もう感謝しかないみたいになっちゃいます。

すでに感謝に溢れている人、人生は全信頼と思えるような人は、いまもうほとんど本当の幸せにいる状態なんだと思います。

もし仮に思えない人がいてもそれが大いなる神の表現ですから、結局はすべてが実はそうなんですよね。