つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

キャンドルデビュー

最近クーラーの効いたお部屋での楽しみの一つとして

キャンドル遊びデビューしました。

少しだけ冷えすぎた室内で火を焚いてみつめることは何とも心地よいものです。

 

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お寺では、蝋燭と線香を焚いて鐘を鳴らしたりして坐禅の始まりを合図します。

線香をくゆらせ1本燃え終わる時間を1炷(いっしゅ)といって

大体1~2炷を1回の坐禅時間にして、

その後足の組み換えなどして、

何本か坐禅を組みます。

 

そういったお寺の坐禅もよいですが、

お寺に行かないと坐禅ができないのではなかなか生活の中に定着しずらいですから、

最初はムリでも徐々におウチでも一人坐禅や一人瞑想など取り入れることになります。

 

一人坐禅のよいところは、

いつでもやりたい時にできるということ。

ただ、誘惑もつきものです。

「今日はやらないで明日でいいんじゃない」とか、

「この仕事を片付けてからやろう」とか、

ついつい後回しにして結局坐禅するつもりだけで終わってしまったりしがちです。

 

また、坐禅しながらついウトウトと睡眠に入ってしまったりします。

 

「毎日同じことのくり返しでつまんないなー」

と飽きてやらなくなってしまったり。

 

今日はお客さんが来たり忙しくてやる暇がなくて終わってしまったり。

 

坐禅を続けていくと

以上すべてのことは一通り経験されることと思います。(笑)

 

そこでは、楽しく坐禅できるようにする工夫が大事で必要になってきます。

毎日の坐禅をいかに楽しく、

というよりもフツウに続けていくことができるようなコツみたいなものを環境であったり、

やり方であったり、

時間帯とか、

それは自分の好みの試行錯誤のくり返しです。

 

例えば蝋燭を少し違うものにしてみるとか、

坐蒲(ざふ)を好みのものを探してみるとか、

鈴(りん)の好きな音のものを探してみるとか、

香やアロマを焚いてみるとか、

瞑想中に好きな音楽をかけてみるとか。

決まりはまったくないですから、

とにかくどうやったら続けられるようになるかと

環境を変えたりして整えてみます。

また日中あまりにも仕事や人間関係で忙しいと

坐った途端に睡眠に入ってしまう可能性もでてきますので、

日中の過ごし方を少し気をつけたりします。

 

そんなことを最初はやっていくのですが、

なんとなくからだに理解されてきますと

別にからだが坐禅しようしまいが瞑想しようがしまいが、

カタチは関係なくなってきます。

かえって何気ない日常生活の方が、

お茶を飲んだり、

美味しいものを食べたり、

きれいな景色をみたり、

その時に感じる心地よい感覚を感じやすかったりします。

 

ですが坐禅は続けていきます。(笑)


坐禅のあいだは、

色んな思考も湧いてきます。

周りに色んな音や気配も感じられてきます。

それはそのままにしてただみます。

みる人なしで、ただみます。

この「みる」という感覚が大事です。

やがて、みる感覚が広がっていきます。

そんなことが起こる坐禅もあれば、

なんにも起こらない坐禅の時もあります。

それはそのままでOKです。

 

本来は坐禅をしている人は誰もいない、

ただ感覚だけがあるのだという「

坐の上に人はいない」という境地になります。

 

むつかしいことは一切ありません。

誰もがこういった感覚があるのだということに

気づいていなかったりするだけです。

 

お茶遊びの瞑想?といってカフェで一人ゆっくりお茶を飲みながら、

心地よさにいることも立派な坐禅です。

 

 本来の坐禅の心地よさとは、

このカフェでゆっくり過ごす時間のように楽ちんで、

なんでもない幸せのような感じです。

 

キャンドルをぼーっと微笑みながらみているような幸せな感じなのです。