つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

枠からとび出そう

毎日同じことのくり返しで、たまにいいことがあったり悪いことがあったり。そしてワクワクしたり、ガッカリしたり。そんなことを毎日過ごしていると、なんだか見落としているようなものがある気がしてきます。

たまには新鮮な空気を思いっきり吸って、ルーティンからとび出したい気持ちでいっぱいになったりします。

 

そこで目標を設定したり、夢を書き出したり、気になっていることをやってみたり、新しい出会いを意識してみたりするとちょっとおもしろいなーという感じもします。

 

一人でいることが結構好きなわたしの場合は、お経や禅の本を読んだり興味のある本を読んだりするのも好きです。

いままで知らなかったこと、気にも留めなかったことが新しくわかること、知るということは、とても新鮮です。

特に今まで知っていたけど、そこまでは気づかなかったとか、新しい発見のような感じがするものとか、新しい感覚とか感触みたいのなものにとっても好奇心が働きます。(笑)

そうなると世界が変わったような、わからなかったことがわかる感じです。

 

小さなものの見方にずっといては、新しくわかるということがなかなかないと思います。大きなものの見方ができて初めてわかることがあります。それは自分がわかろうとしてわかるものではなくて、向こうからやってくる「わかる」です。

わかろうと意図せずに、わかることが起こったという感じです。

よく耳にする話ですが、世界的な賞を受賞した研究者は長い間研究を続けてきて、なかなかわからなかったことが、ふとした瞬間閃きが起こるようです。タバコを一服した時とか、道を散策している時とか、お風呂に入ってほーっとしている時とか、リンゴが落ちた瞬間とか・・・。

瞑想や坐禅においても、わかろうとしないでただ在るということに意識を向けていると、やがてハッと感覚の理解の体験が起こります。

それはことばで説明することのできない感覚です。

誰にでもその感覚はあるのですが、それに気づいていないだけのものです。