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つながる 海と空と青

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて、思いついたまま描き記しています。元来の幸せ感を忘れているとわたし達は不安や不満になり迷い続けます。万人にもれなく備わっている本来の感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさがあるだけです。

できないことやうまくいかないことを問題としない

前回のブログからの少し発展したおはなしです。

人生がうまく流れていってほしいのは誰でも思うことですが、行動はしているけれども、どうしてもうまくいかなかったり、うまくできなかったりして、落ち込んだり、不安になったり、心配になったり、時にはそのことでまるで病気のようになってしまったりしたことがある方もおられるのではないかと思います。

うまくいかない時にはうまくいかそうとして自我はがんばるわけです。

しかしがんばってもうまくいかないことが続いて手の施しようがないとなると、自我は逆にがんばることをしなくなったりします。

そこでどのように人生を過ごしたらよいのかわからなくなってきますが、そこで禅というのは「できないことやうまくいかないことは問題でなない」ということを教えてくれます。

あらゆる手を尽くしたけれどもどうしてもうまくいかなくて悩んだり苦しんだりしているからこそ、この「なにも問題ではない」という教えがスッと入ってきて一瞬でもラクな感覚が体験できるのかもしれません。

人生には苦しみはつきものかもしれませんが、例えていうと問題解決とはその苦しみの対処療法のようなもので、禅の教えはそもそも問題というものはないのだよという感じです。

もしなにかを問題とした途端に浮世の楽しいと苦しみの世界につながっていきます。

できないことやうまくいかないことがあるけれども、それはそのままにして別にいいよーぐらいの軽やかさで問題としなければ、なにも捉われることがなく苦しみようがありません。

 

さてこのように問題としないという姿勢ですが、日頃の禅の関わりがあってこそ培われるものかと思います。禅はもちろん坐禅が基本ですが「座っても坐禅立っても坐禅」の日常のそのまますべてが「行住坐臥」です。

般若心経で冒頭に説かれている「観」の感覚から過ごすことが大事です。

「不生不滅」であるところ、そこにいるとやはりなにも問題ではないということ。

それはすでに幸せなんです。幸せという言い方をするとちょっと美化しすぎかもしれませんが、安らぎといってもいい穏やかで顔がにっこりしているような感覚があって、その中で色々なことが起こっているのだなーというようなことがわかってきます。それがいまここで起こっているすべてのことです。