つながる 海と空とkumo

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところを記しています。わたし達は元来の幸せ感を忘れていることで不安やときに不満になり迷い続けます。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは禅ともつながっていて、さらに本当のしあわせにも通じる扉でもあります。

深刻さにいては理解が起こらない

前回のブログとテーマが似てきますが、

いわゆる坐禅においての行(ぎょう)を日常生活の合間に持ち込んで続けることは大事なのですが、自我の得意とする頑張るやり方では残念ながらいつまで経っても体験は起こらないです。絶対起こらないのかどうかは知りませんが、起こりにくいと思います。

 

わかろう、わかろうと、するとわからないです。

まーわからなくてもいいかーぐらいの感じで忘れちゃったりするぐらいだと、体験(深い気づき)があったりします。

これは前回で話したので、ちょっとしつこいかもですねww

 

力を抜くのが大事なのですが、これがまた力を抜こうとするとどうしても行為になってしまいますので、余計に本来の「在る」から分離を生み出します。

できなくても、まっいいかーぐらいがここでもちょうどよいです。しかし、できなくてもいいかーと放棄するのとは違います。

 

 

宇宙飛行士の山崎直子さんの著書「何とかなるさ!」を読んで、へーこういう考えをするんだなーと、とっても勉強になったことがあります。随分前ですが、いつまでも覚えていたいと思う内容でした。(以下、引用です)

 

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過去の宇宙飛行士候補の選抜で「あなたは桃太郎と浦島太郎のどちらが好きですか?」という質問が出たことがあるそうです。
この問題を出題した精神医学の先生の話によると、長い目で見て宇宙飛行士に向いているのは「浦島太郎」を選んだ人なのだそう。
桃太郎は「鬼の征伐」という目標に向かってしっかり突き進み非常に合理的。一方、浦島太郎は竜宮城でたっぷり楽しむ。しかも「決して開けてはいけない」と言われた玉手箱のおみやげをもらってくる。開けてはいけないものをもらってきてしまう楽観性、さらにはそれを開けてしまう、子どもみたいな無邪気さがある。つまり、浦島太郎というのは、何が起きるか予測できない状況でもそれを楽しめる人ということ。宇宙飛行士にはそういう部分が必要なのだ、といいます。
映画にもなった、地球への帰還をかろうじて成し遂げたアポロ13号のクルーたちには浦島太郎的な性格があったというのです。
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やっぱり理屈ではわからないことって、楽しんだもん勝ちというか、どうしてこんなことになったのかとか、この先どうなるのかなとか、どうやったらうまくいくのとか、いまのやり方は間違ってるのかなとか、深刻になって心配や不安になるよりは、こちらのような「なんとかなるさー」のスタンスの方が断然ラクですし、楽しいです。

 

探究もずーっと続きますが、このスタンスは実はかなり必須じゃないかと思っています。

ラクですよー。