つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

*深刻さにいては理解が起こらない

禅で行(ぎょう)とよばれる実践を

日常生活の合間に持ち込んで続けることは大事なのですが、

自我の「わたし」の得意とする

がんばるやり方では残念ながらいつまで経っても体験は起こらないです。

絶対起こらないと言い切れませんが、起こりにくいと思います。

 

わかろう、わかろうと、するとわからないです。

まーわからなくてもいいかーぐらいの感じで忘れちゃったりするぐらいだと、

体験(深い気づき)があったりします。

これは大事なので前回のブログにもかいています。

 

力を抜くのが大事なのですが、

これがまた力を抜こうとするとどうしても行為になってしまいますので、

余計に本来の「在る」から分離を生み出します。

できなくても、まっいいかーぐらいがここでもちょうどよいです。

できなくてもいいかーと放棄するのとは違います。

 

宇宙飛行士の山崎直子さんの著書「何とかなるさ!」を読んで、

へーこういう考えをするんだなーと、

とっても勉強になったことがあります。

随分前のことですが、いつまでも覚えていたいと思う内容でした。

 

過去の宇宙飛行士候補の選抜で

「あなたは桃太郎と浦島太郎のどちらが好きですか?」

という質問が出たことがあるそうです。
この問題を出題した精神医学の先生の話によると、

長い目で見て宇宙飛行士に向いているのは

「浦島太郎」を選んだ人なのだそう。


桃太郎は「鬼の征伐」という目標に向かって

しっかり突き進み非常に合理的。

一方、浦島太郎は竜宮城でたっぷり楽しむ。

しかも「決して開けてはいけない」と言われた

玉手箱のおみやげをもらってくる。

開けてはいけないものをもらってきてしまう楽観性、

さらにはそれを開けてしまう、子どもみたいな無邪気さがある。

つまり、浦島太郎というのは、

何が起きるか予測できない状況でもそれを楽しめる人ということ。

宇宙飛行士にはそういう部分が必要なのだ、といいます。

映画にもなった、地球への帰還をかろうじて成し遂げた

アポロ13号のクルーたちには

浦島太郎的な性格があったというのです。

 

やっぱり理屈ではわからないことって、たのしんだもん勝ちというか、

どうしてこんなことになったのか、とか、

この先どうなるのかな、とか、

どうやったらうまくいくのか、とか、

いまのやり方は間違ってるのかな、とか、

深刻になって心配や不安になるよりは、

こちらのような「なんとかなるさー」のスタンスの方が断然ラクですし、

たのしいです。

 

探究もずーっと続きますが、

このスタンスはじつはかなり必須じゃないかと思っています。

ラクですよー。

 

 

 

 

何とかなるさ!