つながる 海と空とkumo

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところを記しています。わたし達は元来の幸せ感を忘れていることで不安やときに不満になり迷い続けます。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは禅ともつながっていて、さらに本当のしあわせにも通じる扉でもあります。

「夢や希望もいいけれど」 掘りおこし2007/2/5

 先日ヘアーサロンに行った時、カットしながら話しかけてもらった内容がこうでした。
「今年の冬は、なんだか冬らしくない冬ですね~。暖冬だかなんだか知らないけど、昔みたいに深々と冷える感じがないですね。かといって、ホントに寒い日がくると又ブウブウ文句いってるんでしょうね」
そうなんだな~。
いつも気がつくと無意識にこうだったらいいのにな、こうでなくちゃ、なんて言葉を使っていたり考えたりしています。
 自然と、こうでないものに向く(フォーカスする)ようになっているようです。
同じ事実でも、例えば「今年の冬は暖冬でホントに幸せで寒さを凌ぎやすくていいですね」なんてコトは舌先からもでてきません。

あんなに欲しかったものなのに、手に入ってしまうとウレシイのも束の間で、もうすぐに次の欲しいものに目がいってしまいます。

自我というのは、手に入らないときは、もうこれが欲しい~欲しい~と終始とらわれてしまうのですが、一旦手に入ってしまうとあっさり、手に入ったいまあるものが色褪せてみえてきます。

しかし、よく考えてみると、これがあれば絶対うまくいくとか、これさえあればもう他は何にもいらないと思ったものであっても、本当にその通りになったことはかつて一度もないです。

その時に仮にそう思って願いが叶ったとしても、手に入れてしばらく経ってみると、実際はあれ~こんなはずじゃなかったのに、ということが殆どだった気がします。
反対に手に入らなかったから、ひどい目にあったなんてこともなかったのです。
でも今度こそは、これさえあれば幸せというものを無意識にいつも探しています。

使うつもりで買ったもの、でも、しまったままになっていたり。

食べたくて仕方なかった、なかなか手に入る機会のないお菓子は、少し食べただけで飽きてしまったり。

それらを手に入れたときが幸せのピークであって後はずっとは長続きしないみたいです。

よくよく観察するとなんだかすごく効率悪い感じです。

すごく憧れてひたすら思い続けているのに、幸せはちょっとだけの短いひと時だけ。
そして、あまりに熱望すると疲れてしまうことも分かってきました。

そして、こうなりたいだけのものに目を向け続けると、今の幸せが自然に薄く感じられてきます。

例えば、こうです。今の状態がAで、こうなりたいがBだとします。
A~Bへ移動したいのになかなかなれない。
今のAは特に不満もなくて、今すでにちゃんと過ごすことができています。
でもBにばかり目を向けていると、なぜか今のAがこうなりたいではない状態、つまり、不満もしくは幸せではない状態にすり替わっています。
それに付随するかのごとく、現実もいまの不満ない状態から不満のある状態へと変化してしまいます。

ということは、
もっとこうなりたいもいいけれど、
もっとこうであったらいいのだけれど、と思うのは構わないですが、
いつでも今ある幸せを充分に感じる方が効率は、はるかにいいようです。
そして、たまにこうなりたい、こうなったらいいな~、ならなくてもいいけど、なったらいいな~ぐらいが逆にうまくいったりして、いい感じみたいです。

ストレスがなくて、ラクな方。
これはホントに頑張らない新しい生き方なのかもしれません。

つまり引き寄せの法則です。
いま不満だなーを思うと不満が投影されて、不満に思うことが引き寄せられてきます。

現状のなにか1つでも2つでも満足した気持ちや感謝を思えば、満足するような現実が引き寄せられます。

そして禅は、この引き寄せを使って満足する現象を引き寄せましょう、というのではなく、この引き寄せを使うと心が穏やかに、閑(しずか)になりますから、そこであの心地よい感覚が感じられやすくなりますよ、ということです。

そしておまけとして、満足するような現実も引き寄せられるかもしれませんが、それを目的にはしていません。

禅の本質は、思うようなことが起こっても起こらなくても、「在る」という感覚においては、何も問題ではない、そのままでOKというように感じられてしまうということです。

例えば宝くじで5億円当選した時には、目の前に少々イヤなことが起こっても全然気にならないと思いますが、そんな感覚で、なにも問題なしと思える、あるがままでいて安心して、非常に穏やかで、ゆるぎない安寧な感覚です。

  

 

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