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つながる 海と空と青

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて、思いついたまま描き記しています。元来の幸せ感を忘れているとわたし達は不安や不満になり迷い続けます。万人にもれなく備わっている本来の感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさがあるだけです。

渇望や切望は、依存の元

たまたま何かがよい結果であったとすると、
また次にも(無意識レベルで同じような心地よさを味わいたい)、
同じような事柄や、ものや、結果を期待して行動します。

毎回同じように結果を得られるとその時は幸せですが、得られないと得られるまで求め続けてしまい結局幸せじゃない感じになってしまいます。

また、いつも得られる幸せを求め続けるというのも幸せかというと実はそうではなかったりします。

幸せな気分にしてくれるお金や仕事、もの、対人、知識など色々とあると思います。

その中で、それをくり返していく上で苦しくなっているものがあるとすれば、依存になっていないだろうかと気づいていくことと思います。

要するにそれを求めて行動していくことが延々とくり返されるけれども、幸せというものが常に未来にあって、その幸せな感じを得る行動を失わない為にガンバって常に欲望と、欲望の実現のくり返しをしているということです。

それはお金を得ることの幸せ感もそうですし、かけがえのないパートナーや友人といった人からの幸せ感を得ることもそうですし、人によってさまざまです。

ただそれを続けていくことに、どこかでおかしいなとか、どこかでちょっと違うなとか、どこかで達成感はあるけれども違う欲望がでてきてしまいキリがないなとか、なんだか幸せなハズなのに頑張ったわりにそんなに幸せが続かないとか、頑張ったわりにそんなに幸せじゃないとか、といった違和感を感じることが起こるかもしれません。

でも自我はあくまでも頑張ろうとしますから、それもしばらくは続くかと思います。

要するに結果を求めて行動して得る幸せというのは、得ても思っていたほどの期待した幸せな感じがないなーと感じます。

結論から申しますと、結局ものごとによって得られる幸せを続けていってもその幸せ感というのは、なにかをしない限り得られないですし、なにか行動することができるうちはまだよいかもしれませんが行動できなくなると逆に苦しみになります。なにかをして得られる幸せというのは、しばらくすると必ず消えてしまい長続きせず、輪廻が延々とくり返されていくだけです。

 

行動しなくても実は幸せはあるものです、いま元々の幸せがあるんですよーそれにちょっと意識を合わせてみましょうか、という感じです。
なにかをしたからでもなく、なにかを得ているからでもなく、なにかを持っているからではなく、なにか恵まれているからでもなく、一切関係なく万人に平等にみなさんにあります。

その幸せというのは感じることによって知覚できる幸せです。

その幸せを感じることを忘れない為、ちょっと優先させる為に日常の生活をカスタマイズしていきます。

かといって日常で仕事も家庭のこともなにもしないということはないです。

その日常生活の中において、仕事をしながら、家事をしながら、何かをすることをやりながら、その中で工夫していくものになります。

だから休暇をとろうが、仕事であろうと、入院していようと、関係ないのです。

いまこのままで幸せなんだなーというのが、感じられることがその感覚の入口でもあり目的でもあります。

ガチガチに固まったからだがほぐれた時や緩んだ時にも感じられます。

なにも得ていないけれども、なにか幸せなんだなーということが日常生活の中でみつけられると、それも充分に幸せを味わっていることになります。

なにも行動せずして感じられるノーリスク、ハイリターンな幸せ感は、本来の幸せな感覚です。ただ息を吐くだけでも十分に感じられてくるものです。

依存して得る幸せ感とは違って、深くてゆったりとしてことばで表現しにくい感覚の幸せ感です。それが本来の元々ある幸せな感覚です。やることや行為することを放棄した時にあるかもしれません。

 

なにがやってもきても「満足ホルモン」モードか「不満ホルモン」モードかによって、感じる幸せ感は違ってきます。十分に幸せな現象があっても幸せを感じにくい人は幸せじゃないし、ヤバいくらい不幸せな現象でも幸せを感じられる人は幸せなんです。それもあるがまま。
いまある幸せをもっと感じなさい、というとまた違うものになってしまいます。

本来の満足ホルモンのベースに時々不満ホルモンが現れるとしたら、不満ホルモンも別にあってもいいじゃないかーと思えてくるものです。(笑)