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つながる 海と空と水の色

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて書き記しています。元来の幸せ感が実感できない時にわたし達は不安や不満になり迷い続けます。各々にもれなく備わっている本来の感覚に触れたり気づくことで充足されますが忘れてしまい様々な苦しみを経験します。その感覚は右脳で味わってみるとなんとな~く感じられるものです、右脳でほわ~っと読んでくださると新たな気づきがあるかもしれません。

「何の為に生まれてくるのか」 掘りおこし2014/1/12

掘りおこし 2012から

仏教などでは、人は輪廻転生して何回も生まれ変わると言われます。

もし何の為に生まれ変わるのか、という理由や目的があるとすれば、幸せでいる為、もしくは本当に幸せでいることを感じる為、ではないかと思います。

そして幸せというものが世の中にはっきりと形や名前があって存在していないので、あらゆる形式をもつことで、幸せになろうとします。
それをひと言でいうと、「思い通りになる」ことと結びつくと思います。

 十分なお金を得ることができる環境を手に入れること、
仕事で業績を出して評価を得ること、
 あらゆる人と心通ったつきあいができること、
たくさんの人に支持されて人の役に立つこと、
など形は千差万別ですが、ひと言でいうと「わたしの思う通りになること」ではないでしょうか。


 反対に、「思い通りにならないこと」があると人は悩み、苦しみます。
苦しみとは幸せの反対ですから、幸せとは「思い通りにならないこと」の反対とも言えるかもしれません。


また逆に、十分なお金を得たり、信頼できる人がいたり、数多くの人の役に立つことなど、自分の思う通りになったことによって幸せを感じられても、その幸せはずーっとは続かないとか、もっともっと幸せがほしくなるとか、幸せだったりそうでなかったりとか、幸せだと思っていたけどちょっと違っていたとか、何かがあるから幸せだというのとは違うということに気づく方もおられるかもしれません。


 小さい頃「幸せというのはこれです」というのがはっきりとしなくて、本当の幸せというものを知りたいという思いがずーっと続いてきましたが、この本当の幸せというか、確固たる幸せになりたいというのは、万人に共通する思いではないかと思います。

本当の幸せとは何だろうーという真理といったものをみつけていくことが探究と呼ばれることとすれば、すべての人が意識しているにせよ無意識にせよ、色んな形で経験しながら探究しているのじゃないかなーと思います。

そして探究には、その人に一番適した環境というのがあって、それがいまわたし達が体験している日常というものであると思います。
そうであるなら、もし探究を意識してその道を進むとしても、この日常を離れては、探求には決してならないのだと思います。

日常という当たり前の中に、その人だけに与えられた最善で最も学びやすい環境が与えられています。
それはその人にとってスペシャルな環境であって、その人だけの特別に与えられた課題のようなものです。
その課題というか宿題のようなものに真摯に取り組んでいくこと、それが探究の一番の近道だと思っています。

つまりは日常の生活をなおざりにしないで、一日一日をどのように生きるのか、どのように過ごしているのかということに気づいて、毎日のその時に向き合って生きていく、これを忘れずにみていくだけでもよい人生に向かっていくのではないかなーと思います。

しかし人間はよく大事なことでもすっかり忘れますから、忘れたら戻る、その人それぞれの本当の志のようなものをはっきりとさせておく、忘れたら思い出す、日々の暮らしの中で日記をつけたり、標語をつくったり、自分なりのツールに書き留めたり、みたりすることで自然に思い出せるのではないと思います。

 

 得ることなくすことで感じられる幸せというのは実体がないので夢や幻と同じ類ですが、得たり失ったりすることとは一切関係ないところにある幸せの感覚というのは、普段気づきにくいだけで誰にでもあるいつでも存在している感覚で、時にカンフル剤のようでもあり、時に鎮静剤のようでもあり、いつもあってなくならないです。

悟ったら得られるというのでもなく、悟りや迷いから外れた時にそうであったのだなーと確信できるものです。
誰もが夢をみずして爆睡している時には、得たりなくなったりという概念なくしてこの上ない幸せの感覚だったはずです。

 

自己を見つめる―ほんとうの自分とは何か

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