つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

満足というもの

満足というのは、わたし(自己)においての視野の範囲においてだけ感じられるものではないのかなー。

 

もっと広い範囲においては、わたし(自己)という基準がなくなってしまって、満足や不満という意識はないのが本当だと思う。

 

そして不満足というのは、わたし(自己)以外のところからみたら必ずといっていいほど減点や、落ち度、足りないところ、不足、改善点など評論的なサイド寄りになってしまって、不満というのが増えてくる。
ここから生きていくとすると、人生は非常にタイトで苦しくて、まったくおもしろみがないものになってしまいます。

 

満足も不満足もないところが、一番シンプルで気楽で最大の力が発揮されうるところに違いないのだけれど、どうしても長年のクセや思い込みからわたし(自己)を含めたわたし達という見方からみる傾向がなくならなくて、満足があったり、不満足があったり、それを行ったり来たりしてしまう。

 

わたし(自己)意識が強くなると、余分に満足が強くでたり、不満足が強くでたりする傾向になってしまう。

 

わたし(自己)やあなたという意識がなくなれば、すべては同じであり、ひとつであるという視点しか残らなくなってしまう。

そうだとすれば、色々な起こる出来事も必然であり、絶対であり、あなたとわたしには何の違いもないという、真理の醍醐味を味わうことになるのだと思う。

 

この世では必ずわたし(自己)というものがある前提になってしまうけれども、そもそもその生まれたわたし(自己)というものが本当にあるのかどうか疑ってみるという実にシンプルで原初的な問いというものが、実はこたえであるというのがおもしろいと思う。

 

般若心経にある「不生不滅」というのは、そういうことを意味している。

 

短いことばの中に真理や深淵なる智恵が含まれた、とっても深いことばなのだなーと思うのでした。