つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

掘り起こし「去るもの 来るもの 2007/1/1」

ちょうど年の瀬にあたる日に「總持寺 - Wikipedia」の日曜参禅会に行ってきました。

今年は、クリスマスもなんだかいつの間にか過ぎ、
年末も静かに過ぎつつありまして、
気づいたら今頃クリスマスの唄を口ずさんでいます。

今回の参禅会はスペシャルでした。
一年の締めくくりに、こんなにゆったりと過ごすことができて、ほんとによかったな~と思いました。
お寺の参道で帰りにふと見上げた時の空の月が、またとっても美しかったです。

なんだか、年ごとに穏やかで楽しくて、溢れる感謝を感じています。
去っていくもの、やって来るもの。
それぞれがタイミングよく、又ふさわしく、起こっていることがただ起こっていて、その一つ一つが流れていると感じています。

家に戻って禅タロットカードをひいてみると、「変化」のカードでした。

変化することに抵抗して執着してしまいがちですが、

サラリと捨てて、身軽に生きていきたいものです。

2007年を過ごしていくのにピッタリのことばは、

「去るものを追わず、来るものを拒まず」って感じのようです。

 

 

簡素に生きることば (シリーズ・手のひらのことば)

 

 

 

以上2007/1/1のブログ

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こちらの記事を書いてから、はや9年近く過ぎていることになりますが、何年間という年月の実感がまったくないです。

また過去のことをあまりよく覚えていないことが多いです。

最近は何度目かのウチの片づけに取り組んでいますが、

なんであれ執着してしまうと重たいというのを感じます。

ちょっと少な目ぐらいにモノを減らすと、なんだかスッキリした感じがします。

衣食住のテーマというのは生活に密着していて、

何気に深いなーと感じることが多いのですが、

「腹八分目」を提唱された時代からいまは飽食の時代と変化して

「腹七分~六分目」ぐらいの心地よさを感じます。

 

もし足りなければいつでも足すことができる環境でいることから、

余分にあり過ぎるとかえって生きづらさを往々にして感じます。

 

モノに限らず色んなものがあてはまるのだろうなーという気がします。

とくに欲望も変化しますから、

いちいちこだわっていると過剰になって重たい人生になってしまいます。

 

モノや欲望の多い少ないにいい悪いはないです。

ただ多すぎたり、逆に減らし過ぎたり、固執すると

執着が生じやすくなって苦しみにつながっていくことが増えてしまいます。

仏教でいう中道・中庸が大事です。

 

ただ、欲望があるなーというのを傍からみつつ、

いま目の前にあるものに向き合って味わっていく、

そうすると欲望の目からみていた時には気づかなかった多くのことがみえてきたりして、

それがとっても気づきになったり、

またおもしろかったり、

時には感動したりということにもつながります。

 

欲望があるわたし、というのはどこまでもキリがないので、

欲望が多いなーと気づくのもよし、

欲望で行動しているわたしとは誰かとみていくのもよし、

いずれも探究の術につながるものとして利用するのもありです。

 

先日は映画「365日のシンプルライフ」を鑑賞して感化されたようで

自然に片づけモードになっています。

できればやり残している片づけをスッキリとさせて新年を、

いやいや心魅かれるクリスマスを新たな気持ちで迎えたいなぁーと思うところです。

 


映画『365日のシンプルライフ』予告編 - YouTube