つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

掘り起こし「思い(マインド)の性質 2013/4/13」

思考(思い・考え・意思・マインド)は、2つに分けるという質があります。

それは瞬時にかつ無意識に、いいと悪い、いいとよくないを分けたり、つくります。

☆いいグループ
思う通りになった=うまくいった=成功=幸せ=気分いい

★悪いグループ
思うようにならなかった=うまくいかなかった=失敗=問題あり=幸せではない=(場合によって不幸)=気分悪い

こんな感じです。


マインドは動きを始めると、いつまでも傾向と対策を反芻し続けます。
実践して、また巻き直してさらに延々と続けます。

常に「あるポイント」をみつけて、それに向かって検討して策を講じます。



そこでひとつじっくりと考えておきたいことがあります。
 果たして自分の思う通りになったことが本当に幸せなのだろうか、ということです。

よくよく考えると、
実は思う通りになるのが幸せだと思い込んでいたけど本当は違ったかも、
もしくはいい気分だったというのはすぐになくなってしまうような幸せだったのではないか、ということです。

「あるポイント」を攻めていっても、幸せとはいい難いのが実際に感じることではないでしょうか。
逆に「あるポイント」攻める作業の連続に、疲れたりしていませんか。

そういったことに気づいたり、体感できたりしていくと、
マインドのもつ判断するという性質(いいと悪い)(損と得)に影響されなることが少なくなってきます。

それよりもグルグルして重たーいマインドのないところにある、
スーーーーっとしたところを感じた方が、遥かにラクなんだなーということが体験的に理解できるようになったります。
「あるポイント」は気になるかもしれないけれども、そのままにしながら意識はスーーーーっとしたところに合わせるというような感じです。

 

 


曹洞宗大本山總持寺」の坐禅会に参加した折にも、講話の中で「苦しみとは思い通りにならないこと」だとお話されていました。

思考よりも、思考が出てくるホンのちょっと前のそれがないところのラクーな感じ。
思考してグルグルになっていってしまうよりも、ここを感じることの方が苦しみがなくてラクに違いないのです。

 

ということは、

思考を減らしたり増やしたりといったことは意図的にコントロールできないですが、思考をどんどんつなげていっても幸せにはつながらないんだなー、ということに気づくことができるだけでも随分違ってラクになってくると思います。

 

思考しているいま、いまが思考になってるなーと気づくといまにあります。

 

いま思考のないところにあると、いまがあります。

 

いまが消えないいまで、
元からあるいまの幸せに気づく入口でもありそのものでもあるのです。