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つながる 海と空と水の色

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて書き記しています。元来の幸せ感が実感できない時にわたし達は不安や不満になり迷い続けます。各々にもれなく備わっている本来の感覚に触れたり気づくことで充足されますが忘れてしまい様々な苦しみを経験します。その感覚は右脳で味わってみるとなんとな~く感じられるものです、右脳でほわ~っと読んでくださると新たな気づきがあるかもしれません。

坐禅をしている「わたし」は誰ですか

シンプル禅

坐禅や探究を始めて間もなく多くの方々は、この質問がやってきます。

「坐禅をしているわたしとは一体誰ですか?」

 

実は、これはとっても深いです。

ことばで表せないんです。

それで、

「さあー誰でしょうー」とこたえると、

質問した相手は、意地悪をされてるように感じる方もいるみたいです。

 

この質問のこたえがわかるのに、禅を学んで、禅を実践しているのかもしれません。

 

 

じつは、この質問は質問自体が答えになっているものでもあるんですね。

 

できないで悩んでいる「わたし」ってどこにあるのだろう。

ひどいこと言われて落ち込んでいる「わたし」はどこにいるのだろう。

 

 

禅を学ぶ手始めに湧いてくる質問、

この「わたしとはいったい誰か」というものが

 

やがて、

最後の最後の卵の殻に張り付いた薄皮のようなものに問うように

「わたしってどこにあるのだろう」という問いが

真実へ連れていってくれるものとなります。

 

 

ただし、この質問はたまにするものであって、

頻繁に問うと、どうしても思考のルーティンになってしまって

気づきというのが起こらないままになります。

 

たまに

そういえば、ふと思い出したけど

「この感情と戦ってるわたしって誰なんだろう」と問うたりして、

その時に、スーーーーーーーーっとした心地よさのような

そんなことなんにも考えないところに触れると

騒いでいた思考がしずかになり、

また何も問題ないじゃないか、という気にもなり、

とても安心した感覚になったりします。

 

探究というのは、とてもシンプルで

この目の前の現象について「なにも問題ないじゃない」という感覚を

まるでからだの筋肉をつけるように

からだに染み込ませていくような流れです。

 

最初は感じられにくいかもしれませんが、

100回に1回感じられたりします。

それが50回に1回とか、10回に1回とか

折れ線グラフのように感じられたり感じられなかったりしながら

流れていきます。

そこで、あーうまくいってるなーとか、今度はダメだーとか、

思考はささやいてきますが、それはそのままにして、

続けていきます。

「思考を払わず、悟りを求めず」です。

 

そうすると、

不思議になことに、感じようとしなくても

あれー、ふとした時にもう感じられていることが起こったりします。

 

そんなことをくり返し、くり返し戻り、くり返しながら、

日常の中で色んなことから、取り組んでいきます。

 

 

また

感謝も、この感覚がとても感じやすくなります。

 

禅の探究は、深くておもしろいなーと思います。

必死になって頑張ったところで、残念ながらこの感覚には至らないです。

 

結果を求めずに、いまここに在るもの、それを味わい、真摯に取り組んで続けていくと、必ずなにか新しい発見があり、新しい気づきが起こってくるものです。

 

そんなことが起こることも忘れているぐらいの時に起こったりします。

ホントに意地悪かもしれませんね・笑

 

いたずら好きなんでしょうね、きっと。