つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

掘り起こし「癒し 2007/6/10」

ひとつのテーマに随分と時間をかけて取り組んでいたんだなー、

ということに気づきました。

人が生きるうえで、大切なことの共通のテーマかもしれないです。

 

 

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以下2007/6/10のブログ

 

電車に乗っていると、
向かいの席にいらした男性が「これ癒しだよ~」といって、
隣の連れの女性に新発売のお菓子を差し出していました。

ふと目をやると、その隣に座っている女性が目にしている雑誌の
記事のタイトルが「癒されたいっ!」と、あります。

世の中いたるところで、「癒し」、「癒される」、「癒されたい」と溢れている。

「癒し」という言葉を耳にするのは、
もう流行を通り越してずいぶん使い古された感じさえしてしまう。

個人的には、
ちょっと癒されたいとか癒されるということばはフィットしなくて
「ホッと一息つきたい」、
「ホッとしたい」とか、 そういうニュアンスで受け取っている。


癒されたいと思うとき、そこには癒されていないわたしがある。

何かイヤなことがあったとか、
がんばり過ぎて疲れたとか、
そういった時に、症候群のようになってしまうのかもしれない。

そこで外側に癒しを求めると、
たばこやアルコールなどを求める中毒にも似たものがあるように思う。

それがないとやっていられない。

でもそれを味わっても、又すぐに次の味を求める。

人生が延々とそのくり返しであるように思う。

 

では
癒されていない時とは、どういう時なのだろう。

自分がムリをしてしまって疲れた。

他人に合わせてしまって、気がつくと自分のスペースがなくなってしまっている。
などだろうか・・・。

そこには、今の自分では駄目だという認識があって
つい違う自分を演じてしまうというベースがあるように思う。

 

何だか知らないけれど、ありのままの自分でいてはいけないと無意識に思っているかもしれない。

そういう時には、
「今の自分のままで大丈夫」と
少しずつでも認識していくことが大切だと思う。

 

では、今の自分でも大丈夫と思えない場合は、どうしたらよいか。

それは、誰よりも自分が自分を愛することかもしれない。
愛するというと、大袈裟かもしれないけれど、
頑張っている自分を認めてあげる、ぐらいでも最初は充分かもしれない。


自分をみているもう一人の自分がいるとして
遠くから観察するということをいろいろな場面でやってみる。

すると、不思議なことにだんだんと
「自分って結構がんばってるな~」とか思えてしまう。
自分で自分に感動しちゃったりすることもあるぐらい。


外側にばかり、くり返し「癒し」を求めるよりも
自分の中で観ていくほうが、はるかに確実に平穏になっていく。

そういった風にシフトしているこの頃です。

 

 

あるがままに―ラマナ・マハルシの教え