つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

掘り起こし「とある詩 2008/8/5」

韓国ドラマ『私の名前はキム・サムスン 』をみて、こころに響いた詩です。

 

*愛しなさい、傷ついた事がないように*

踊りなさい
誰も見ていないように

愛しなさい
傷ついた事がないように

歌いなさい
誰も聴いていないように

働きなさい
お金が必要でないように

生きなさい
今日が最後の日のように

 

 



思わず、息をのんでしまうことばです。
背筋が伸びて、中心が定まる感じがします。

いったいどんな人の詩なのか、調べてみると
ルフレッド・D・スーザ(牧師)さんのことばが
詩になっているようです。


これって何かに似ています。
それは、「いまこの瞬間に、ただ在ること」です。


 禅も他のものも大切なことは、みんな同じだということなのですね・・。

 

 

 

 

十牛図-禅の悟りにいたる十のプロセス-

 

 

 

 

以上2008/8/5のブログ

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 この詩をブログにしている記事がいくつかありました。

 

「幸せは旅の過程であり、目的地ではない」というフレーズもあるようです。

「幸せは旅の過程であり・・・」 (アルフレッド・D・スーザ) - コトノハ : * 風のある場所 *

 

 

スーザ牧師の違うことばもありました。

the giving tree: 「…生きよ、今日が最後の日のように」 から

 

ずいぶん長い間、人生、すなわち“本当の人生”とはこれから始まるものだと思っていた。

ところが、行く手にはいつも様々な困難が立ちはだかった。

先に片付けなければならない用事があったり、

仕事が残っていたり、

当分何かに時間を取られそうだったり、

返すべき借金があったり。

そういうものが済んでから自分の人生は始まるのだと思っていた。

しかし、私はようやく気付いた。

こういった困難そのものが私の人生だったのである。


 アルフレッド・D・スーザ

 

 

 

いずれにしても、スーザ牧師から
とっても深いことばが、紡ぎだされているなーと思います。

 いのちというものを真剣に生きられた軌跡を感じます。