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つながる 海と空と水の色

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて書き記しています。元来の幸せ感が実感できない時にわたし達は不安や不満になり迷い続けます。各々にもれなく備わっている本来の感覚に触れたり気づくことで充足されますが忘れてしまい様々な苦しみを経験します。その感覚は右脳で味わってみるとなんとな~く感じられるものです、右脳でほわ~っと読んでくださると新たな気づきがあるかもしれません。

吉野 弘さんの詩  その2

ことばの誦経(ずきょう)

 

こちらの続きです。

  

  

「夕焼け」

(前略)

やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心のの持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。

こちらの詩は「吉野弘詩集 (ハルキ文庫) 」の冒頭にあるのですが、
なんとも共感できます。

 

   

「生命は」 

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれてる者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

この詩は
良寛の「花無心」を連想させるような
同じような味わいが感じられてきます。

 

花無心 | 真言宗智山派 総本山智積院

 

 花開蝶自来: **聴 雪** 日々の禅語 memorandum

 

  ひとつ世の中にあるものがみな無心にて、
各々それぞれが他のためになされる働きがあることを
教えてくれるのが
花にとまる蝶にみてとれる様子が強く感じられます。

  

  

 

「海」 

海は、空に溶け入りたいという望みを
水平線で、かろうじて自制していた。
神への思慕を打ち切った恥多い人の
心の水位もこれに似ている。
なにげなく見れば
空と海は連続した一枚の青い紙で
水平線は紙の折り目にすぎないのだが。

空は 満ちたる虚。
その色が なぜ こうも美しく
海に影を落とす?
考えず 静かに いるとき
空の美しさは 海の深みに届くのに
ざわめき始めた海の
白い波頭には
もはや 映ることがない。

こちらは、
代表的な自然にある2つの対比、空と海に対して、
作者の感じるところがよく表されていると思うのですが、
こちらのブログのタイトルと同じことば「海」「空」「青」が使われていて、深いところで共感を感じられました。 

 

 

「夕焼け」「生命は」「海」といい、作品のすべてからなんとなく奥深い共感を感じて、ページをめくってみると、なるほどと納得できた作品がありました。

  

「氷よ、氷」

 

(前略)

もう一つ
水と氷の譬えで忘れがたいのが
白隠禅師坐禅和讃』冒頭の次の言葉
<衆生本来仏なり  水と氷の如くにて
水を離れて氷なく  衆生の外に仏なし>

<衆生>は、迷いの世界にある者
<仏>はこの場合、悟りを得た者のことだが
水が氷になるように
衆生が仏になる可能性を指し示す
この譬えの絶妙なこと。

(後略)

 

「坐禅和讃」のことばが引用されており
禅に通じておられたのであろうと、
使われていることばの折々の深いところで息づいている様子から
納得できるように思います。

 

  

吉野弘さんの作品、しみじみと味わうになかなか深いなーと思います。

 

 

 

  

そして、また思い出したのが、
金子みすゞさんの作品もなにかしら仏教に通じていると感じられて、
金子みすゞ童謡集 (ハルキ文庫) 」を購入して読みはじめたところです。

いくつか有名だったり代表的なもののほかも、
どんなものなのかとても知りたくなりました。

 

 

金子みすゞさんの詩は

こちらの記事でも使わせてもらっています。

吉野弘さんとは趣が違い、
ことば使いは非常に優しくて平易なのですが、
なんとなく仏教的な智恵が深いところで折々に感じられる
興味深いものです。

 

またまた今後のブログの記事のネタになるかもしれません・・・・。