つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

視野の範囲を修正する

なにかに向けて動き出そうとしたい、とします。

そして、程度の差はあれ方向性がみえてきた時に、そちらへ向かって進んでいきます。

その方向性がクリアであればあるほど、進む速度はたぶん速くなるのだろうと思います。

その方向で、よい結果のことが起ころうと、よくない結果が起ころうと、いずれにしても、そのいい悪いから学ぶことをして速く進んでいくのだろうと思います。

 

そこで、その方向ばかりに意識が向いていると、その範囲でないものがまったくみえなくなってしまうことが起こってきます。

 

みえなくて別に問題ないのですが、

もしかしたら、視野を広げることができるなら今までと違った見方をすることによって、さらに進む方向へ加速することもできるかもしれないし、もしくは軌道修正して、違った質の方向へ進むようになるかもしれません。

 

速度と範囲という2つにおいては、どちらか片方へ偏らない方が、本当のところへより近づきやすくなるように思います。

考え方であれ、ものの見方であれ、人の気持ちであれ、仕事のことであれ、対人関係であれ、すべてにあてはまる気がします。

 

例えば、わかりやすく学歴重視とすると、学歴のあることがよいという価値を知らないうちにもつことになります。

そうすると学歴の有無によってまったく区別してものや人をみることになるでしょうし、無意識のうちに高学歴ほどよい、という判断をもつことになるでしょう。

ある意味人生という名の本質からいうと、学歴の差があるということはそのままですが、それは必ずしも価値基準にあてはまらないと思います。

実際に学歴がないとしても、それは早くから社会に参加して色々な経験を身につけて、その経験からたくさんのことを学んでいるケースも多いかと思います。

そうなると一概に学歴がないのはよくないとは決められません。

学歴や職歴などにばかり目を向けてしまうと、逆に本質そのものを見通すことが難しくなったりします。

このように、なにかをいいとか悪いという価値や判断というものをもつことで思考は成り立ちます。

また、思考ではないところの領域では、いいとか悪いといった判断はなくなります。

禅のことばに「両忘」がありますが、その判断やいい悪いという価値をもたないところ、いい悪いという両方を忘れなさい、という意味あいです。

禅の高僧の山田無文老師のお名前は、まさに「文」=知識がない、つまり知識があるとかないということを超越している、ということを表しているように思います。

 

なので、まずは自分がなにか「価値基準」をもっていたという、そのことに気づくことは、大きな進歩のはじめの一歩につながります。

 

ということで、たまに軌道修正というか、今までのものの見方やものを見直して、クリアにしてリセットをかけて、さらに先へ進むというやり方が偏らずに広く遠く進めるひとつのやり方かなと思います。

 

ときに場合によっては、強制的に人生からリセットを強いられる場合もあります。

大病をしたり、会社が倒産したりして多額の負債をかかえたり、・・。

そこまでいかなくても、ちょっとした出来事によって行きづまるような状況というのは、ものの見方の修正をかけるタイミングにピッタリです。

 

人生で苦しい状況を多く経験した方のなかで、ほんのわずかな数の方ですが、負け惜しみでもなんでもなくて、これでよかったと心の底から思えるようになるようです。

余命宣告をうけた状況であれ、最愛の人を失った状況であれ、耐えかねる痛みが続く病気を抱えているときであれ・・。

それはいままでみえなかった、今まであったけどみていなかった、あるものがみえてきたり、感じられてくるからだと思うのです。

 

そのあるものこそが、今まで既にあって消えることのない、ことばで表現することのできない「幸せな感覚」であったり「静寂さ」であったり「穏やかさ」であることには間違いないのです。

 

だから色々なことが人生で起きた時に、悲しんだり、苦しんだり、泣いたり、気が狂いそうになるぐらい混乱したとしても、それをみている静かな感覚というものがあるということが逆にクリアに感じられたりします。

 

苦しい状況をたくさん経験している中で気づきをもって過ごしておられる方のほうが、感じられやすいと思いますが、これは応用編です。

 

応用編の前に、基礎編の「思考をチェックする」こと。

この思考はどこから出てくるのかなー、「思考ってホントにあるのかどうか」ということをみてみる。

すると、どんな感じがするでしょうか。

 

 

こちらも参照してみてください。

 

これを問うてみることを続けていくことによって、ゆるぎない幸せな感覚に出合えるかもしれません。

 

 

 

 やがて、幸せな感覚というのは、思考のないところ、「ただ在るだけ」の感覚だということが体感として理解されることと思います。