つながる 海と空とkumo

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところを記しています。わたし達は元来の幸せ感を忘れていることで不安やときに不満になり迷い続けます。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは禅ともつながっていて、さらに本当のしあわせにも通じる扉でもあります。

ポイントは「しみじみと」

前回のブログでは、うとうとした居眠りのような感覚が覚醒状態に近いということを書きました。 

 

うとうととした時以外でも、美味しいものを食べた時、仲のいい友達と一緒にすごした時、なにかに感動した時、あったかいお風呂に浸かった時、とっても満足した時、一日の終わりに布団に入ってゆっくりした時、など

意識してみるとその時々に、ちょこちょこと「あーしあわせーーーっ」という感覚は、誰にでもあるものかと思います。

最初はみつけにくいかもしれませんが、意識してみてみると必ず感じられる頻度やシチュエーションが広がっていきます。

その時に、ひとつのポイントは、しみじみと味わうということです。

例えば一日の終わりに美味しい夕食を食べ終わったとき、「あーーーおいしかった~」というのだと、何秒も感じることができるかもしれません。

あーおいしい~~、としみじみと感じ入ります。

もうそれだけで、プチ坐禅、プチ瞑想です。

いまここにある瞬間、瞬間に変化していく、そのときどきのシアワセ感を感じてみることが大切です。

その時にシアワセだなーと感じられる目の前のことは、変化していきます。

それをその時々でキャッチしていきます。

五感を通して心地よさを感じられると、それがシアワセな感覚に結びついていきます。

 

 

それから、もうひとつよいお知らせです。

幸せな人の近くにいると、それがウィルスのように感染します。

赤ちゃんの笑顔は不思議とみる人の微笑みを誘います。

それと同じように、幸せな人や幸せそうな人の側になるべくいるというのも自分のしあわせ感を誘い出してくれそうです。

ただし感染するのも100%ではないようです。

例えばその幸せそうな人をみて、ムカついたりしていたら感染しないですよね。

思考が邪魔をしたり、先入観で判断してしまうと、せっかくのシアワセキンが感染してくれなさそうです。

(マヤのツォルキンに類してシアワセキンというのがあったらおもしろいと思いますが・・・)

素直に人の幸せを喜べるような人には、同じように幸せの種をもう貰っているということです。

嫉んだり、嫉妬したり、恨んだりなんてするのは勿体ないです。

自分の幸せのためにも、人の幸せを喜んであげる方が賢い生き方です。

人の幸せを喜べるのは「随喜功徳」といって、ひとつの功徳でもあります。

随喜功徳ができるようになると、簡単にシアワセな感覚になりやすくなるところがおもしろいところです。

 

もし喜べない反応だったとしたら、それを観照するチャンスです。

マインドフルネスとよばれる、自分の行動をみるということです。

このマインドフルネスも坐禅でいうところの観照、「観る」ということです。

観自在菩薩というのは、自由自在に観ることのできるのが菩薩ということで、「観」これもまたシアワセに結びついてきます。

 

こうやってみるとお寺に出家しなくても、日常生活はシアワセを感じられる修行に満ちているともいえます。

楽しくて幸せな感覚が徐々に広がっていくことをおもしろがって実践してみることを忘れずに、そのときそのときを過ごしてみるのは、マンネリや重くならない瞑想や坐禅のきっかけとなることと思います。