つながる 海と空とkumo

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところを記しています。わたし達は元来の幸せ感を忘れていることで不安やときに不満になり迷い続けます。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは禅ともつながっていて、さらに本当のしあわせにも通じる扉でもあります。

頑張らない勇気

さきほどまで「無」について書こうと思っていたのですが、ふと思いつきで

違うことについて今日は書いてみたくなりました。

頑張らないことについて・・・

 

儒教の伝来や古くから日本の教育などによって、

頑張ることがよいこと、優れていること、模範となるように

いつしか環境がそうであったり、周りにセッティングされてきました。

頑張ることや努力というのは、

言葉から感じるニュアンスは人それぞれ違うと思いますが

なにかいまの自分よりもステップアップする為とか

骨を折って、自分を削ってとか

幾分、力が入ったニュアンスに感じられます。

 

言われる通りにちょっとムリしながら頑張ってしまうと

違和感があります。

周囲の期待や状況によってそうせざるを得ない場合もありますが

できることなら

頑張ることを楽しんでやってみるというのも一つの手だと思います。

そうなると

力がふっと抜けて、自然に行える方向にいきやすくなります。

 

また、頑張りグセある方。

自分はつい頑張っちゃうということにまず気づくことが大切です。

リミッターのメモリは、これも人それぞれ違うので

他からこれぐらいはフツウだろうと思われても

自分の感覚に気づくことが大事です。

自分はつい頑張っちゃうという認識があったり、

頑張ってる自覚がもてることというのも大事です。

このリミッターは、みえないものなので振り切ってしまうと

あとから修復するとなると大変だったりします。

 

頑張りグセは大いに結構です、問題ではありません。

その時に、「こころ」というか「からだ」からの声を少しきく余裕をもってあげてください。

そして今までだったら頑張っちゃう流れとしても

少しだけ頑張らない勇気をだしてみるのもおすすめです。

頑張って、ふり幅を余裕で振り切って、

あとでシンドイ思いをすることを経験したり学んだならば

ちょっとだけ、頑張らない勇気を実行してみるのです。

その時にどうなるのか・・

それをよく観察してみましょう。

想像してたよりも意外と大丈夫だったり、

その方がよかったりするケースもあります。

 

また、あえて頑張らないことも大いに結構で、問題ではありません。

 

 

坐禅や瞑想においては

頑張ってしまうと本来の感覚は感じられにくくなります。

頑張る「わたし」と一体になってしまうのです。

始め立てや習いたての時は、自動車の運転の要領と同じで力が入ってしまい

ドライブしている心地よさというものを感じられないです。

ですが何度も続けていると

自分が運転しているという感覚は薄くなっている感覚に気づくことと思います。

 

頑張りグセのある人には、頑張らない勇気を。

頑張れないでいる人は、今まで頑張って

もしかしたらお休みが必要なのかもしれません。

頑張らないでいいよーと言ってあげると、勝手に始まったりします。

 

要は

頑張ること、頑張らないこと、どちらにも捉われず、

そのときの状況を俯瞰してそれを楽しんでいたいものです。

それは「観」に通じるものです。

 

 くれぐれも、

いまのままで十分であるという感覚のところから頑張ること。

あれっ、

これって「頑張ること」って言うのかなぁー。