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つながる 海と空と水の色

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて書き記しています。元来の幸せ感が実感できない時にわたし達は不安や不満になり迷い続けます。各々にもれなく備わっている本来の感覚に触れたり気づくことで充足されますが忘れてしまい様々な苦しみを経験します。その感覚は右脳で味わってみるとなんとな~く感じられるものです、右脳でほわ~っと読んでくださると新たな気づきがあるかもしれません。

3次元的生活のなかでのからくり

シンプル禅

最近みじかなところで「お金」についての話題を多くふられるので

今日は「お金」について書いてみたいと思います。

 

いつものことですが

よくまとまってから書くことはほとんどなくて

こうかな~?と書いているうちに、

なんとなく記事になるような散文的なスタイルをとっておりますので、

長文になる場合もあります・・あしからず。

 

いろいろな雑談のなかで

お金が入ってくるシステムの仕事のお話をなにげなく聞くことになったのですが。

そのときになにも考えないで無意識に自分でしゃべったことばというのが、

いまから思いかえすと

そうか・・・・って

こうだったのかーと気づくことにもなりました。

 

お金があった方がいいよね・・・みたいな問いかけがありました。

それに対して

「お金がないときはお金があったらいいと思うけど、

お金があるときにはお金がほしいって思わない・・・」

と思わず発していました。

 

他の人も同じ考えが当然だという風には思ってはいないです。

みんな違う考えがあって当然と思っています。

 

そこで改めて、ここが人と違うのだなーーーということがわかり、

辿ってみていくと・・。

 

 お金がないから不幸せである、と思った経験がないのです。

では不自由なくお金に恵まれていたのかと言うと、そうとも違って

色々な状況があっても

仕事に恵まれたり働ける環境にあったりして、

生活が送れないぐらい困窮したことはないので、

逆にフツウに生活できていることがありがたいことだな・・

というのがベースがあります。

 

また

お金をたくさん持っているにも関わらず幸せでない人を多くみてきたことがあります。

生活することはもちろん十分で、それ以上の恵まれた環境にありながら

もっともっとという思いが強くて常に、もっと上を望んでいます。

 これは多様な職種について色々な方々をみてきて感じたことでもあります。

 

3次元的生活のなかで日常を過ごしていると

どうしても多いものほどよくて、

よりよく、より賢く、より優れて、・・といった

すべてが上昇した方へ向かうのがよいとなりがちです。

知らず知らずそういった価値観で行動していくと思います。

 

 

それが振り返ってみるとガラッと変わっていたのです、

いつの間にか。

 

たくさんあるから幸せという幸せ感というものを

目的にして行動していたところからの変化がありました。

現状を変えることによって幸せになるという発想がなくなりました。

 

 

あるとかないとかに関わらず

もっというとなにもなくて幸せなんだな~という感覚が芽生え

いつの間にか優勢になっていったように思います。

 

瞑想や坐禅というものを続けていたら、いつの間にかそうなってきたように思います。

 

たくさんもつことや

思い通りになることが幸せだとは思っていなかったので

なにやら瞑想や引き寄せをすると

「理想の仕事やお金やパートナーも手に入って、思う通りの人生になる」といった

うたい文句のような手には一切興味がわかなかったです。

  

ホントの幸せって「お金」ではないのだ思うけれども

実際のところはなんだろうなーという感じの思いが強かったです。

 

 

いまは呼吸を感じるだけでも十分幸せです。

 

お金でもなんでもたくさんあるから幸せというのとは、違う感覚です。

がんばったから幸せだという感じでもありません。

 

 

でも

お金があって、さらにお金を求めることは問題ではないと思えます。

どちらでも好きなようにどうぞ、という感じです。

 

 

もう少し深くみていくと

お金があるにも関わらず、さらにお金があった方がよいと思うのは

お金がなくなることへの不安感から求めることが起こっているかもしれません。

そのときには

その不安から逃げる ⇒ 求める こともあるだろうし。

また

逃げないで、その不安感をみていく というやり方もできます。

それがどうなるのか

やっていくと体験されると思います。

 

いままでの求めるだけのやり方から

不安感をみていく、という選択肢をふやすということで

また新しい展開になるかと思います。

 

不安というのは、

思考が勝手に想像したり、記憶にあるだけのもので

実体がないということも理解されてくると思います。 

また「マインドフルネス」のようにみていくことをすると

不安の外にでることもできます。

 

 

瞑想や坐禅は、いままでは無意識に避けていたものに気づいて

ただみていくということによって

新しい視点(気づき)がうまれ

それに伴って、いままでにない新鮮な幸福感や安心感といった

心地よい感覚になったりします。

 

 

 

ちょっと脱線しますが

凸凹というのがあって

凸がでっぱりで、凹がへこみ、ですが

見方によっては凸はへこみでもあるし

凹はでっぱりでもあるんですね。

3次元的なものの見方だけでいると

凸のでっぱりをどんどん増やそうとすると逆にへこみが増えることになります。

「お金」に例えると、もつことがどんどん増えると

いかに有効に使うを考えることに忙しくなったり、

目減りしないかと不安になったり、

リスク管理が欠かせないものとなり、

あればあるほど手間が増え、心配や不安も増えていきます。

 

「お金」だけでなく3次元的なものというのは実体がありません。

そのような実体のない頼りないものに左右されない

安心感や幸せ感というものを感じてみること。

それをなんとな~くでも坐禅や瞑想、また自然のなかや

日常の生活のなかで体験することは

かなり稀な確率で幸せなことなのだと思います。

 

 

 じゃあ「お金」はなくてもいいのか、というとそうでもありません。

ないよりはあった方がいいです。

でも、なくても全然気にならないです。

不安といったものと一体にならなければ、不安はあっても自分のものとしません。

また、「わたし」というものがなければ

不安があっても、別に問題なしと思えます。 

 

「わたし」がない=無、というのは

赤子のような無心になりさえすればよいのだ、と

山田無文の本に記されていたと思います。 

 

それは、将来お金がないと不安だからと心配することもなく

不安だったという過去もなく

お金があるとないとに関わらず

ニッコリ微笑んでいる

赤ちゃんのようなしあわせ感です。

それをみていて、思わず微笑んでいるときも

同じようなシアワセ感がそこにはあるものです。

赤ちゃんをみて、ニッコリできるとき、

そのときは、なにもなくても幸せなはずなのです。

それを感じられているときには、

なにも影響されずに心地よさがあって

不安や心配も、過去も未来もないはずです。

 

 

 

 

こちらの本で紹介されている「マインドフルネス」のやり方は
シンプルに思考の外にでていくのに、参考にすることもできると思います。