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つながる 海と空と水の色

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて書き記しています。元来の幸せ感が実感できない時にわたし達は不安や不満になり迷い続けます。各々にもれなく備わっている本来の感覚に触れたり気づくことで充足されますが忘れてしまい様々な苦しみを経験します。その感覚は右脳で味わってみるとなんとな~く感じられるものです、右脳でほわ~っと読んでくださると新たな気づきがあるかもしれません。

心地よく生きる処方箋みたいなもの

徒然エッセイ

人生を心地よく生きる処方箋といってよいものかどうかわかりませんが、

今日はこの2つのことについてです。

・損することと得することはあたり前

・一人勝ちしないこと

 

わたし達(自我)はどうしても、損したくない。

損するよりは得したい、という思いがあります。

それにいいも悪いもないのですが

このトラップにはまると、人生が息苦しいものになってしまいます。

こんな風に思ったことありませんでしょうか。

損したんだから、損した以上に取り返そう、だとか

少しでも得したい、

元手をかけたからには少しでも無駄にしたくない、とか。

 

こういった、いま目の前の状況だけに心を奪われてしまうと

いいこと悪いこと、得した損した、落ち込むとハッピー・・・を

日々延々と、行ったり来たりしてさ迷うことになります。

人生においては必ずスパイスともいえるようないいこと悪いことは起こります。

そのあたり前のことをぐるぐる悩んでも仕方ないとして、

いまある、温かい飲み物の心地よさに向ける、なんてことができるとしたら

ほんとに人生はラク~になっていきます。

 

そもそも損したという「わたし」って、どこから生まれてきたのでしょうか。

 

 

寒~いときには、自動販売機のホットドリンクでも心温まります。

暑~いときには、コンビニのアイスコーヒーでなんだかリセットされます。

こんな小さな単純なことでも心地よさというものとリンクしてきます。

それが自覚できたりして、

心地よさを意識してみたり、坐禅や瞑想を続けたり、といった行を続けていくと、

やっぱりわかっちゃうんです。

いままで、なんで考えても仕方ないことをぐるぐるとエネルギーと時間を消耗して費やしていたのか・・・・・なんてことが。

 

人によってどんな気づきが起こるのかわかりません、未知数です。

でも

未知数だからこそ、おもしろいな~と思うのです。

いつ気づきが起こるのかも、どんな気づきが起こるのかも未知数です。

自我のパターンによって

こういう気づきが起こることが正解といったものをあらかじめ作りだしますが

それは苦しみのもとになります。

なぜなら、こうならなければいけないという思考が働きますから。

あらかじめ設定しないでいる方がラクです。

(ここ大事なところです)

わたし達は何生にもわたって「魂の成長」といった目的があるとしたら

ほんの一ミリ成長できるだけでも、じつはスゴイことに違いないです。

 

また、一人勝ちしないということも心地よくしてくれるものです。

いいことも悪いことも独り占めしないでいた方がラクじゃないでしょうか。

それを自我はついついいいことは独り占めしたがります。

でももしそうなっても、問題ないんです

はー独り占めしようとしてるなーーーってただみています。

そこで、独り占めがやはり続くかもしれません。

しかし、みているときの独り占めと

気づくことなく自我のパターンの独り占めだと、違うということも

おいおい気づくことがでてくると思います。

 

 

・損することと得することはあたり前

・一人勝ちしないこと

この2つはじつは自然のリズムです。

人も自然の一部ですが、元々自然界というものはそういったリズムで動いています。

ひとつ全体として、どんな形をとっていても何かしら相互共存して生きています。

共存のなかで自分のいのちを輝かせています。

 

人も自然のリズムで生きていくことが、

人生をラクに生きやすくしてくれるように思います。

 

禅やマヤの教えの両方に、自然のリズムの大切さがカバーされています。

禅は感覚としての理解、マヤ暦は日々の過ごした方の拠りどころとして

なんだか自然に入ってきているものです。

 

禅だけではつかみどころがない部分が

マヤではわかりやすく気づかせてくれることもあって

わたしにとっては禅もマヤも形は違えど方向は同じものだと理解しています。

 

そしてマヤに関わるようになって、いままで出会うことのない

色んな人と出会うことになって、行動範囲も広がって

どうなることやら、ほんとうにおもしろいな~と思っています。