つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

*ヒーリングって

いわゆるヒーリングにはさまざまな形態や種類があるようです。

トラウマの解消、傷を癒す、

感情のブロックを外す、解放する、

抑圧して蓋していたものと向き合って対処する、

他にもいろいろです。

 

あるタイミングで興味が湧いて取り組むことは

問題ないと思うのですが

まず、やらなくっちゃっ

ていう感じで取り組んでしまうと

のちのち支障がでてくるかもしれません。

 

また

トラウマや傷をなくそうと

躍起になればなるほど苦しくなります。

なぜなら、

そこになくしたいという執着がでてきてしまい

いつまでも捉われることになってしまうから。

 

傷といったものは禅からみると

元々あるはずのないものであって

実体のないものを

なくそうとするのはとても無理があります。

 

こころの状態はからだに如実に現れます。

からだは正直なので、

こころの声を代弁するかのように

表明してくれます。

 

かといって、

からだの悪いところをひとつ残らず治そうとしてしまうと

思うようにならず苦しみます。

何ごともほどほどさが安らぎをもたらしてくれます。

 

さてトラウマといったものに対してどうしたらよいか。

 そういったことを自我の「わたし」は

無意識に模索する傾向があります。

 

それについて、これだけが正解というのはなくて、

どれも間違いではないし、

どれもいまその人にとって正解だと思います。

 

 

そこで、もし禅的な見方からアドバイスするとすれば

「起こることは起こるようになっているし、

起こらないようになってることは

どんなに努力したりがんばっても

起こらない」ということ。

 

とってもシンプルであたり前のことなのですが、

これがわかっているようで

実際にはなかなか人は理解することがむつかしいです。

 

でもこのことが腹の底からわかると

本当にガラッと人生がラクになります。

 

 

そしてもうひとつのアドバイス

これは禅的なのかどうかわかりませんが

自分がイヤだったこと、

苦しかったこと、
できれば思い出したくないような出来事について

ほんとにダメダメ度100%だったのかな~と

振り返ってみることです。

もし感情的に毛嫌いしてからだが反応してしまうぐらい

イヤ~な出来事があったとして

そのとき自分は到底受け容れられなかったけれども

ときが経って、

いくらか状況も変わり忘れていたり

余裕をちょっともてるところから

なんとな~くみてみることをしてみます。

そうすると、な~んだ、その時は

苦しさ、辛さ、大変さが凄かったけれども

そんなことがあったから

なにか今までにないことに気づくことができたとか、

大切なものをみることができたとか、

そんな風に振り返ることができたなら

もうそれは大きなヒーリングになっていると思うのです。

 

この「気づき」こそオートファジーならぬ、

オートヒーリング。

このオート、つまり自動的なものほど強力です。

坐禅や瞑想で、なにも思い浮かばない心地よさから、

「いろいろあるけれども、まっいいかー」

と一瞬でも感じられるのもオートヒーリングです。

 

オートヒーリングは、昇華でもあり、浄化でもあり、

リセットといってもいいかもしれません。

 

なんどもくり返していくうちに、理由なく

「起こることは、なにも問題ではない」

と疑いなく思えるようになります。

 

 

イヤだったこと、

苦しいことから逃げたり避けるのではなくて、

なにか意味があったのだな~とか

それがあったから、いまのしあわせがあるのだな~とか。

その人にとってその人なりの気づきが

1つでも2つでも、どんなに小さくても気づきが起これば、

もうそれは自分にとって

かけがえのない大切な出来事に思えるように

変化のはじまりです。

 

人生万事塞翁が馬です。

人間万事塞翁が馬の解説 ・・・

 

人に騙されて大きな損害を被ったとか、

思いがけない事故に遭ったとか、

病気によっていつもからだが辛いとか、

こころが病んでしまってどうしようもないとか、

よかれと思ってやったことが仇で返されたようになったとか、

少なからず人生の中で理不尽だったり

どうしても納得できなかったりするようなことが、

起こることもあります。

 

その時、相手やみえない計らいを責めずに、

またそのことによって人を恨んだりせず、

そして人生うまくいって幸せそうな人を嫉んだりしないで、

自分にとって用意されているであろう

隠されたみえない

「ギフトにみえないギフト」なるものを

実感できるよう

たのしみにさえ思いながら

過ごせていけるといいのかな~と思います。

 

 

つらつらと何も考えずに書いているわけですが、

似たようなことを感じたり、

思う人がいるのだな~と感心したことがあります。

 

自身の学生時代にあったいじめの経験から

NHK国学合唱コンクールの課題曲を作詞した曲で

タイトルがまさに「プレゼント」。

 

 


SEKAI NO OWARI「プレゼント」

 

 


【Nコン2015】 プレゼント 【歌詞付き】(混声三部・中学校の部 課題曲) 【SEKAI NO OWARI】

  

 作詞のSaoriさんは、いったいどんな人かしら?と

マヤで紐解いてみてみると

なるほど納得することができました。

 

マヤの興味深いところは、いろいろありますが

なかでも他の人を理解することができることから、

それによってさらに自分を理解することができるところ。

なにより一番わかっているようでわからないのが、
「わたし」なのですから。

 

 

禅の教えとして、シンプルには

「トラウマや傷の1つや2つあっても、問題なし」

なんですけどね。

 

そしてシンプルな問いが

「トラウマがねー、

といっているそのトラウマがどこにあるのか

探しみつけること」

また

「トラウマがある、

という思考がどこから出てくるのかをみてみる」です。

 

 

ゆっくりと問うていくと、

なんとなく感じられるかもしれません。

どんな風に感じられますでしょうか。

 

なんだか「まっいっか」とか、

べつに気にならなくなった。

としたら

それは充分感じられているということです。

 

 

   

気づきのオートヒーリングは「青空へTake off」

 


宇多田ヒカル(Utada Hikaru) - Time Will Tell (Live Ver.)