つながる 海と空とkumo

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところを記しています。わたし達は元来の幸せ感を忘れていることで不安やときに不満になり迷い続けます。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは禅ともつながっていて、さらに本当のしあわせにも通じる扉でもあります。

ヒーリングって

いわゆるヒーリングというのは実にさまざまな形態や種類があるみたいです。

トラウマの解消、傷を癒す、

感情のブロックを外す・解放する、

抑圧して上から蓋をしていたものと、ひとつずつ向き合って対処していくやり方、

他にもいろいろです。

 

あるタイミングで興味が湧いて取り組むことは問題ないと思うのですが

まず、やらなくっちゃっていう感じで取り組んでしまうと

のちのち支障がでてくるかもしれません。

 

また

トラウマや傷をなくそうと躍起になればなるほど苦しくなります。

なぜなら、そこになくしたいという執着がでてきてしまい

いつまでも捉われることになってしまうから。

また傷といったものは禅からみると元々あるはずのないものであって

実体のないものをなくそうとするのはとても無理があります。

 

こころの状態がからだに現れます。

からだは正直なので、いいとか悪いなくこころの声を代弁するかのように

表明してくれます。

 

かといって、からだの悪いところをひとつ残らず治そうとしてしまうと

思うようにならず苦しみます。

何ごともほどほどさが安らぎをもたらしてくれます。

 

では、トラウマといったものに対して

わたし達はどうしたらよいでしょうか。

 そういったことを自然にわたし達は、無意識のうちに模索しているような気がします。

 

それについて人それぞれであって、これだけが正解というのはなくて、

どれも間違いではないし、どれもいまその人にとって正解だと思います。

 

 

そこで、もし禅的な見方からアドバイスするとすれば

「起こることは起こるようになっているし、

起こらないようになってることは

(どんなに努力したりがんばっても)起こらない」ということ。

 

とってもシンプルであたり前のことなのですが、

これがわかっているようで

実際にはなかなか人は理解することがむつかしいです。

 

でもこのことが腹の底からわかると

本当にガラッと人生がラクになります。

 

 

そしてもうひとつのアドバイス

 

これは禅的なのかどうかわかりませんが

自分がイヤだったこと、苦しかったこと、
できれば思い出したくないような出来事について

ほんとにダメダメ度100%だったのかな~と振り返ってみることです。

例えば、感情的に毛嫌いしてからだが反応するほどイヤ~な出来事があったとして

そのとき自分は到底受け容れられなかったけれども

ときが経って、その時の自分よりいくらか成長もあり余裕があるところから

なんとな~くみてみることをしてみます。

そうすると、

な~んだ、その時は苦しさ、辛さ、大変さが凄かったけれども

そんなことがあったから

なにか今までにないことに気づくことができたとか、

大切なものをみることができたとか、

そんな風に振り返ることができたなら

もうそれは、自分にとって大きなヒーリングになっていると思うのです。

 

この「気づき」こそオートファジーならぬ、オートヒーリング。

このオート、つまり自動的なものほど強力です。

坐禅や瞑想でのなにも思い浮かばない心地よさから、

「いろいろあるけれども、まっいいかー」と一瞬でも感じられるのも

オートヒーリングです。

オートヒーリングは、昇華でもあり、浄化でもあり、リセットといっても

いいかもしれません。

 

なんどもくり返していくうちに、理由なく

「起こることは、なにも問題ではない」とこころから思えるようになります。

 

 

イヤだったこと、苦しいことから逃げたり避けるのではなくて、

なにか意味があったのだな~とか

それがあったから、いまのしあわせがあるのだな~とか。

その人にとってその人なりの気づきが

1つでも2つでも、どんなに小さくても気づきが起これば、

もうそれは自分にとって

かけがえのない大切な出来事に思えるぐらい変わってしまうかもしれません。

 

人生万事塞翁が馬です。

*正しくは 人間万事塞翁が馬の解説 ・・・・

 

人に騙されて大きな損害を被ったとか、

思いがけない事故に遭ったとか、

病気によっていつもからだが辛いとか、

こころが病んでしまってどうしようもないとか、

よかれと思ってやったことが仇で返されたようになったとか、

少なからず人生の中で理不尽だったり

どうしても納得できなかったりするようなことは、やはりあると思うのです。

 

その時に相手やみえない計らいを責めずに、

またそのことによって人を恨んだりせず、

そして人生うまくいって幸せそうな人を嫉んだりしないで、

自分にとって用意されているであろう

隠されたみえない「ギフトにみえないギフト」を実感できるよう

ある意味たのしみにさえ思いながら過ごせていけるといいのかな~と思います。

 

 

つらつらと何も考えずに書いているわけですが、

似たようなことを感じたり、思う人がいるのだな~と感心したことがあります。

 

自身の学生時代にあったいじめの経験から

NHK国学合唱コンクールの課題曲を作詞した曲で

タイトルがまさに「プレゼント」。

 

 

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

 

作詞のSaoriさんは、いったいどんな人?とマヤで紐解いてみてみると

すぐに、なるほど納得することができました。

  注釈*SoriさんはKIN 207

同じような境遇を経験したことがあるのだろうということがわかり、

そこからやはり同じようなことを感じて思ったりしていることが理解されました。

 

マヤの興味深いところは、いろいろありますがなかでも

他の人を理解することができることから、

それによってさらに自分を理解することができるということもあります。

なにより一番わかっているようでわからないのが、
自分という「わたし」なのですから。

 

 

 

禅としてシンプルなのは

「トラウマや傷の1つや2つあっても、問題なし」

なんですけどね。

 

そしてシンプルな問いが

「トラウマがねー、といっているそのトラウマがどこにあるのか探してみる」

また「トラウマがある、という思考がどこから出てくるのかをみてみる」です。

 

 

ゆっくりと問うていくと、なんとなく感じられるかもしれません。

 どんな風に感じられますでしょうか。

 

 

 

  

 

気づきのオートヒーリングは、まさに「青空へTake off」です。

 


宇多田ヒカル(Utada Hikaru) - Time Will Tell (Live Ver.)