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つながる 海と空と水の色

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて書き記しています。元来の幸せ感が実感できない時にわたし達は不安や不満になり迷い続けます。各々にもれなく備わっている本来の感覚に触れたり気づくことで充足されますが忘れてしまい様々な苦しみを経験します。その感覚は右脳で味わってみるとなんとな~く感じられるものです、右脳でほわ~っと読んでくださると新たな気づきがあるかもしれません。

「知足」は強力な引き寄せ

知足

禅の教えというか特徴ともいえるのが「知足」です。

ーただ足ることを知るー

この「ただ」ということばは禅をよく表しています。

 

目的もなく、理由もなく、いい悪いもなく、行為する人もなく、

そういったところが「ただ」の真骨頂です。

 

 

「知足」というのは

頭脳明晰であればあるほど理解しがたいかもしれません。

 お釈迦さまの弟子の舎利子( 舎利弗 - Wikipedia )は頭が良すぎたために

 なかなか悟りに気づくことができなかったので

 般若心経ではその舎利子に説いて話しかける形式になっています。

 

ただちょっと思考の線を何本か飛ばしてみたり

あるいは思考ではなくて感じるというところ(右脳)からですと

理解しやすいかなーと思います。

 

思考はないものをみつける性質があるので

いくら思考で「知足」を理解しようとしても

次はこれ、次はこれ・・といった感じで

多分いつまで経っても満足することができない状態です。

 

そこであーこんなこと思っちゃいけない。

充分なんだから満足に思わなくちゃ、なーんていうささやきも

思考なのでスルーします。

 

あー満足してないんだなということに気づくこと。

これが大事です。

満足していないことに、いいも悪いもつけずに

ただ満足していないんだなーーーということをOKしてあげます。

すると

すーーーーっと満足することがよい悪いということから

離れることができます。

 

また人によっては満足できていないことに捉われてグルグルな場合は

満足していない自分をOKしてあげます。

またOKできなければ、OKできない自分をOKしてあげます。

とにかく、

できてもできなくても

できない自分もできてる自分も

OKできる自分もOKできない自分も

全部同じようにいいとか悪いをつけずに気づくだけです。

ありのままをみていきます。

 これが観自在菩薩である観自在の「観」。

 つまり「自由に真理を観る眼が開ける」です。

 

 

 

まとめますと

たとえ自分が満足だといま思えなくても、「まっいいか」と。

問題ではありません。

 

そして例えどんなに小さなことであっても、

あー充分だなーと心から思えたり心から感じられると

満足や充分や足りているという想念を未来に送っていることになりますので

未来それが何カ月後か何年後か何十年後かわかりませんが

そういった状況を引き寄せることになります。

 

なので禅がわかってからの「知足」ではかなりもったいないです。

 

禅を知らなくても、禅がわからなくても

ちょっとした満足、ちょっとした幸せだと感じられることや

なんだか有難いなーとか、感謝だな~とか、

閑で心地よいな~とか、

あーシアワセだな~など感じていると

いつの間にか、状況は変わらなくてもラクでかなり幸せだということや

禅の道につながっていくことと思います。

 

また「知足」にいるときには

過去や未来を行ったり来たりということもなくなります。

一石二鳥どころか

一石何鳥にも匹敵するほどです。

 

ただし、くれぐれも

「知足」をすれば将来思うようなことが手に入る、なーんて風に

駆け引きのないところで感じてみてくださいね。

もし駆け引きしても、あー駆け引きしちゃったで問題ないです。

 

駆け引きをすればするほど

逆の引き寄せになってしまうことでしょうが、

それはそれでたのしんでみてください、糧になりますから。(笑)

 

駆け引きしないは、見落としがちですがかなり重要なところです。

 

そこでも「ただ」がつく「知足」になっていくほど

シンプルでラクで

いつの間にか理由はないけどなんだか幸せだわ~

という感じになることを確実に経験されることと思います。


もしかしたら、いうまでもなく

いまもう充分「しあわせ~~」かもしれないです~( ´艸`)