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つながる 海と空と水の色

禅と引き寄せと本来の幸せ感のリンクするところについて書き記しています。元来の幸せ感が実感できない時にわたし達は不安や不満になり迷い続けます。各々にもれなく備わっている本来の感覚に触れたり気づくことで充足されますが忘れてしまい様々な苦しみを経験します。その感覚は右脳で味わってみるとなんとな~く感じられるものです、右脳でほわ~っと読んでくださると新たな気づきがあるかもしれません。

「自己肯定感」というもの

シンプル禅

さっこん「自己肯定感」ということばをよく目にします。

 

もしいま「自己肯定感」というもの

なにか納得のいくものをみつけられておられる方はそのままでいてください。

 

なんにも否定することはありません。

 

ただ、違う見方もありますという感じの内容です

 

 

「自己肯定感」ときいて、どんな印象でしょうか。

 

「自己肯定感」の自己とは、個我の自己を指すと思うのですが

この自己というのは

良くなったり悪くなったり

調子がよければ、調子の悪い時もあります

まじめなときもあれば、不まじめなときもあります

がんばったり、怠けたり

うれしかったり、悲しかったりしますし、

なにかできたり、できなかったりします。

そんな不安定で変化の続く自己というものを

これがわたしなんだと特定することができますか・・

 

 

その自己というのは肉体のことでしょうか・・

その肉体というのは、いつも同じでしょうか

生まれたり・死んだりするものですか

さて自己というものが確固としてあるでしょうか

 

 

また

その「自己肯定感」があるとか、ないとかいっているのは

だれでしょうか

それもわたしでしょうか

そうしたら、その「自己肯定感」をみているわたしというものは

どこにあるのでしょうか

 ・・・・・・

 

ここです、とはっきり示すことができますか

 

 

 

その自己をみているところ。

それを目でみるのではなくて、心の目を通してみてみると

どんな感じがするでしょうか。

 

なにも関係なく思えたりしませんか・・・

 

人によって感じ方にいい悪いはありませんし

どんな感じがあってもそれは間違いではありません

 

なんにも関係なく、なにも問題ないと思えるような感覚がなんとなーくある

なんとなーく

そこは

「自己肯定感」というものがあろうがなかろうが

まったく問題のないところ(感覚)です

 

すべて、そのまんまでOKという

なんにもしなくても、安心できちゃうような感覚

 

ー♬~ありのままの・姿みせるのよ~♪っていう歌も流行りましたがー (*´ω`*)

 

 

「自己肯定感」の自己にフォーカスすると

肯定できたり、肯定できなかったりを、行ったり来たりします。

その行ったり来たりのくり返しを

ただ、いいとか悪いなく広がりとともにみているところ。

 

 そんなところもあるのです

あるとかないとか、そんなのがめんどくさくなるような

「自己肯定感」がもてないときにも、いつでもあります。

 

それは悩んでいるときに、ふっと青空を見上げたときの感覚に近いかもしれません。

 

赤ちゃんの笑顔をみて、ふっと微笑んだときの感覚に近いかもしれません。

 

 

できるーできないや、あるーなしなどという自己のスペックに関わらず

いつでも、どこでも、感じられる感覚です

 

「自己肯定感」があってもOK、「自己肯定感」がなくてもOK

どちらでもOKであって

そのまんま、ありのまま、あるがまんまでOK

そんな感覚が個我の自己ではなく、本来の自己に近いのだろうと思います

 

誰にも共通して、もれなく標準装備の感覚です

 

よいお天気、たまには空をみあげてからだからゆっく~り息をしてみませんか。

すると、ちょっと感じられたりするかもしれません

 

 

ところでタイトルの「自己肯定感」について、しいて言うならば

「自己肯定感」があってもなくても、

「自己肯定感」が高くても低くても、

どちらでも問題ないよ~。

どちらもOKなんだよ~。

「だって、わたしはわたしなんだもーん」と

理由もなく

ムリなく思えたり、

ほんの少しでも安らぎが感じられるのが

ほんとうの「自己肯定感」なのだと思います

 

そしてそこには「他者否定感」というものがないです。

自己も他者もどちらもオールOK

そんな感覚はいつでも存在しているはずです