つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

*「自己肯定感」というもの

さっこん「自己肯定感」ということばをよく目にします。

 

もしいま「自己肯定感」というもの

なにか納得のいくものをみつけられておられたら

そのままでいてください。

 

なんにも否定することはありません。

違う見方もありますという内容です

 

 「自己肯定感」ときいて、どんな印象でしょうか。

 

「自己肯定感」の自己とは、個我の自己を指しますが

この自己つまり自我の「わたし」は、

良くなったり悪くなったり

調子がよければ、調子の悪い時もあります。

まじめなときもあれば、不まじめなときもあります。

がんばったり、怠けたり

うれしかったり、悲しかったりしますし、

なにかができたり、できなかったりします。

そんな不安定で変化ばかりの自我を

これがわたしなんだと、はたして特定できるでしょうか・・

 

 自我の「わたし」は肉体のことでしょうか。

その肉体というのは、いつも同じでしょうか

生まれたり・死んだりするものですか。

 

 

その「自己肯定感」があるとか、ないとかいっているのは

だれでしょうか

それもわたしでしょうか

そうしたら、その「自己肯定感」をみているわたしというものは

どこにあるのでしょうか

 ・・・・・・

 

ここにある、とはっきりみつけることができますか

 

 

 その自己をみているところ。

それを目でみるのではなくて、心の目を通してみてみると

どんな感じがするでしょうか。

 

なにも関係なく思えたりしませんか・・・

 

人によって感じ方にいい悪いはありませんし

どんな感じがあってもそれは間違いではありません。

 

もしかしたら、ふっと

なんにも関係なく、

なにも問題ないと思えるような感覚が

なんとなーくある。

なんとなーく。

そこは

「自己肯定感」というものがあろうがなかろうが、

まったく問題のないところ(感覚)です。

 

すべて、そのまんまでOKという

なんにもしなくても、安心できちゃうような感覚。

 

ー♬~ありのままの・姿みせるのよ~♪が流行りましたがー

 

「自己肯定感」の自己にフォーカスすると

肯定できたり、肯定できなかったりを、

行ったり来たりします。

その行ったり来たりのくり返しを

ただ、いいとか悪いなく広がりとともにみているところ。

 

そんなところもあるものです。

あるなし、いい悪い。

そんなのがめんどくさくなるような

大らかな感覚は

「自己肯定感」がもてないときにも、いつでもあります。

 

それは悩んでいるときに、

ふっと青空を見上げたときの感覚に近いかもしれません。

 

赤ちゃんの笑顔をみて、

思わずふっと微笑がこぼれる感覚に近いかもしれません。

 

 

できるーできないや、あるーなしなどという

自己のスペックに関わらず

いつでも、どこでも、感じられる感覚です。

 

「自己肯定感」があってもOK、「自己肯定感」がなくてもOK。

どちらでもOKであって

そのまんま、ありのまま、あるがまんまでOK。

そんな感覚が個我の自己ではなく、本来の自己に近いのだろうと思います。

 

万人に共通した、もれのない標準装備の感覚です。

 

よいお天気、

たまには空をみあげてからだからゆっく~り息をしてみませんか。

すると、ちょっと感じられたりするかもしれません。

 

 

ところでタイトルの「自己肯定感」について、

しいて言うならば

「自己肯定感」があってもなくても、

「自己肯定感」が高くても低くても、

どちらでも問題ないよ~。

どちらもOKなんだよ~。

「だって、わたしはわたしなんだもーん」と

理由もなく

ムリなく思えたり、

ほんの少しでも安らぎが感じられるのが

ほんとうの「自己肯定感」なのだと思います。

 

そしてそこには「他者否定感」というものがないです。

自己も他者もどちらもオールOK

そんな感覚はいつでも存在しています。