つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

*気づきの分かれ目

坐禅や瞑想、ヨガ、気功、呼吸法・・・

あるいは

なにかの出来事や状況がきっかけとなって

ある瞬間に

いままでのからだやこころが、

ふわ~~~っと緩んだようなとき。

 

それは自分で意図しないときにですが

ある時に、ふと気づきが起こることがあります。

 

「あー自分て、こんな風に思っていたんだな」とか

「忘れていたと思っていたのに、引き摺っていた」とか

「無意識にため込んでいたな~」とか。

もしくは新しい発見のようなひらめきかもしれません。

 

その気づきにのっかるように感情が出てくることもあります。

その感情は出るに任せます。

感情や思考は出ては消えていくものなので、放っておきます。

あるいは、感情があるのをただみています。

 

そのときのその感情と一体にならないように

みているという姿勢が

次のステップへつなげてくれます。

 

なにか思い出したり、気づいたり、感情が出たり、・・・

そのあとで

さらに観ているとふーーーーっと、

「あーーーーそうだったのか」

といった大きな気づきが起こります。

 

その時に、

ふっと笑いが出てくるぐらいでしたら、しめたものです。

いままでたくさんのことを

心配したり、

不安になったり、

深刻になったり、

縛りつけていたり、

怖れていたり、

締めつけていたのだ、ということに気づきます。

いままでそうだと信じていたものが

じつは単なる思い込みだったということが実感されます。

そうなると、

なんだか心が軽くなったような、

世界が広がったような、

なーんにも心配することがないような感覚になります。

 

これが気づきです。

坐禅や瞑想などを実践されていると、

多くの方が体験される感覚だと思います。

 

 

そういった気づきを体験された方のほとんどが

なんだか

いままでがんばっていたことがバカらしく思えて・・・とか、

悩んだり心配していはずなのに

何を悩んでいたのか忘れちゃったとか、

いままで悩んでいたことが別にどうでもよくなったとか、

などの感想を述べられます。

 

気づきはおもしろくて

大概の場合、

自分ががんばって労力やお金も時間も使って

苦労したり、

どうやってもうまくいかったり、

ものすごくダメージを受けたり、

大きな病気になったり、

社会的な制裁を受けたり、

理不尽な扱いを受けたり、

不当な要求をされたり、

さまざまな重圧や窮地に追い込まれたり

といったプロセスを経ることが多いようです。

 

三次元的に損してダメージを受けて

大きな気づきに至るケースをよく耳にします。

 

そこで大概はグルグルっと、

じめじめっと、

なっちゃうわけなんですが

気づかないと、

ずーっと、じめじめグルグルをくり返していきます。

恨みつらみの多い不幸な自分をつくり上げてしまいます。

 

坐禅や瞑想などを実践していくと

それが自動的に本来の方向へ調整されていく感じです。

それも調整されているという自覚がほとんどない、

というところが

おもしろいところであり、

たやすく続けることができにくいところです。

 

しかし、ふと大きな気づきが起こったときには

「あれ、

損しているはずなのになんだかありがたくて仕方ない」

ような気持ちに自動的になります。

その損しているのにとか、

三次元的に考えたら全然得になっていないのに

なぜか皆さん口を揃えて、

しかもゆったりとした表情や、

晴れ晴れとした顔つきで、

まるで損したことを喜んでいるような

不思議な心持ちでおられるのがわかります。

そして

損したことを決して悪く思えないのです。

「いやー、気づかせてくれてどうもありがとう!!!」

というような心境です。

もしくは

「きつねにつままれたような、

なんだかよくわからないけどこれでよかったのだ~」や、

シンプルに「これでいいのだ~」と深い安らぎの感覚など、

状況は変わらないのにシアワセ~な感じが満ちてくるのです。

笑いがとまらないかもしれません。

 

 

これは実践されていくと、

多かれ少なかれ経験されるいろいろな気づきです。

 

 

 

このような気づきの感想を耳にするたびに

ふっと笑みがこぼれ、

ほんとにおもしろいな~と思います。

 

とっかかりの坐禅や瞑想・・・なんでもよいと思います。

続けていくほど、

また違った気づきが起こって飽きることがないので

気づきはおもしろいなーと思います。

 

 

ちなみに、気づきのコツは、

意図して気づこうとしないことです。

実践されていくなかで、

力が抜けて、さらに力が抜けて・・・・

どんどん力加減が理解されて変わっていきます。

力が抜けきったとき、

ふっと、唐突に、勝手にそれが起こります。

また、それがくり返されるかもしれません。

三次元的な、いい悪い・損得・成功失敗・勝ち負けや

思い通りになるならない、

など相対でものをみることができないような

ふかーーーい、しずけさのような、

同時にすべてが生き生きと

シアワセが溢れた大安心な感覚です。

 

    

大安心でいられるような感覚「知足」、について

   

余談になりますが

得したい~(成功したい)、

損にならないよう(失敗しないよう)に、

など思えば思うほど逆になってしまうというのは

宇宙は裏返し構造


何かを意気込んでやる人ほど、宇宙は味方しない


執着・こだわりがない人ほど、宇宙が味方してくれるようです

という、小林正観さんのことばの通りのような気がします。

  

 

三次元的でない見方というのは

損(プラス)してもよし、

得(マイナス)してもよし、

雨でも、晴れでも、曇りでもよし、

どれもOK、

すべてが十分で

過不足なくちょうどいい

カンペキなのだな~みたいな感覚です。

 

たとえると、バカボンのパパの口ぐせである

「これでいいのだ~」の感覚です。

 

思考の見方では限界がありますので

体感的な感覚があるとすんなり理解されると思います。