つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

【2】 いまあるもので充分、いまないものも充分

 

続きです。 

 

「じゅうぶん」だな~をほんのちょっとでも感じられると

不思議といままで流れなかった状況が流れ始めたりします。

 

「なりたい」とか「したい」とか求めているときには

まったくどうにもできなかったことが

動きだしたりします。

 

真理というのは、ちょっとへそ曲がりなところがあるかもしれないですね。(笑)

「~がほしい」ときには与えられなくて

「じゅうぶん」だな~と思えるときには、流れが起こる。

 

「じゅうぶん」に思えるときというのは、

じつは今までと状況が変わっていないけれども

いままでみえなかったけれども、じつはたくさん与えられていたのだと

感じられるようなときです。

 

であるので

「じゅうぶん」であることを思い知りなさいといったこととも違っています。

 

そのときの思考に気づくということです。

どんな思考が起こっても、ダメもいいもないのです。

ただ、こんなふうに思っているのだな~ということを

認識します。

 

これが大事です。

そうなると、一旦リセットが起こる感じです。

リセットといっても、いきなり初期設定に戻るわけではなくて

いままでの重い思考や状況などを一旦脇に置くこと、が起こるわけです。

そして

もう一度その荷物を担ぎ直すといった感じです。

すると、そこにちょっとした「間」ができるんですね。

呼吸の間、思考の間、動作の間、感じられる間、風の吹く間・・・

すっと風が入り込む隙間が起こるわけなんです。

そうなると「執着」からほんの少し遠ざかっています。

 

また、この観るということを実践しながら

この思考や欲望というのは、いつかは変化していくものだな。

そして

また違う思考や欲望がやってくる。

そうなると、また同じ重苦しさを味わうのだなと

自ずと達観できるかもしれません。

 

いずれ変化していくテーマでありながら

テーマが違っても重苦しい思いをすることは同じなんだな・・・

となると

このテーマのないところ、

つまりこのテーマ(思考や欲望)がでてくる先を感じてみると

新たな感覚によって

新しい見方が起こると思います。 

 

 

 

 

 

 

ところで

NHKの100分de名著という番組で

大乗仏教について書かれた「維摩経」はおもしろかったです。

今回のブログのテーマとは違いますが

禅は大乗仏教ですので、よければ参考にしてみてください。 


 

なお 

こちらのブログでは禅(仏教)について、いろいろと書き記していますが

とくに仏教を信仰しているわけではなく、

仏教心理学 - Wikipedia」といった広い意味合いで関わり、取り扱ってブログを綴っています。