つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

感謝の対象を限定しなくなると

facebook松下幸之助さんのことばをチェックしていると

うーん、そうだよね~と思うことばがあります。

https://ja-jp.facebook.com/MatsushitaKonosuke/

 

2017/7/30の投稿のひとつ 

感謝の心が高まれば高まるほど、

それに正比例して幸福感が高まっていく。

 

確かに、感謝というのは幸せだな~という感覚に近くて

しあわせだな~というのを感じやすくしてくれます。

 

だからといって、いきなり

感謝しなさい、とか

感謝しなきゃー、とか

感謝がないとダメだよ、とか

言われたり、自分でも気づいたところで、果たしてすぐに実行できるとも限らないです。

 

思考というのは、そういう性質があります。

これは個人のクセというか、習慣、習性というものとも関係します。

 

ものすごーく頑張ってこられた方

大変な思いをされたことがある方ほど

もしかしたら、頑張った「わたし」が際立って

感謝という思いは持ちにくい場合があるかもしれません。

 

 

感謝はちょっとムリであればそれもOK。

別にもたなくてもいいですし、

他に祈りの想いも近いと思います。

 

また罪悪感といったものは、「わたし」を強固で重たいものにさせてしまいます。

 

 

感謝がないとダメとか、感謝がいいとか、ではない見方というのも大事です。

 

ただ、知恵のひとつとして

感謝という思いをもちやすくすると

幸せだな~という思いも感じやすいというのがあります。

なので他人に感謝しなさいというのは、違っている方向です。

あくまで

自分にとってラクであって結局は得ですよという思考の教育といった感じです。

 

では感謝という思いから

幸せだな~というのが感じられやすくなったとして

さらに思うことは

 

例えば、なにかができるとか、なにか得られているとか・・・

なにかに対しての感謝には対象というものがありますが

同じ対象でも範囲が広がれば広がるほど感謝の思いも増えると思います。

さらに

「わたし」というものを除外して

わたしが得ることができる、とか

わたしにとって、とか

わたしというものが外れて広範囲になればなるほど

感謝という思いがじんわりとした深いものになっていきます。

 

これは、やってみないとわからないかもしれません。

 

ただ、いきなり「わたし」を外すというのは

思考にムリがありますから

「わたし」だけの感謝(幸せという思い)

から

「わたし」と他の仲間の感謝

さらに

「わたし」と他のあらゆるものの感謝

それから

「わたし」を超えたところの感謝

こういった方向へと前後しながらスライドされると

きっと

おもしろいことが起こると思います。

 

 

 

わかりやすくいうと

感謝の対象が限定されないほど

比例して感謝の思いがより深いものへと変化していくと思います。

「あーなんだかわからないけれども、ありがたいのだな~」という感じです。

思考からの感謝ですと

これがこうなったとか、

「わたし」にとって都合のよいことがあったとか、

かなり限定されたものになるはずです。

 

ところが

その思考から外れたところからは

理由はわからないけれども、とか

自分にとって必ずしもよいことと思えないけれども、とか

なんだかまったく辻褄があわなくても

感謝だな~とか、幸せなのだな~という思いが湧きあがってきます。

また

幸せだな~とまで思えなくても、別に問題ではないのだなーといった感じです。

 

もう幸せが既にあるので何かあったとしても、幸せ感が変わらないでいる感じです。

 

じつに完全無欠の感覚です。

例えるとしたら

宝くじが当選しちゃった~ような、というか

鉱脈をみつけたような、というか

そのときは、なにかイヤなことが起こっても別に気にならないですよね。

そんな感じです。

 

 

 

じつはこの感覚的な幸せだな~というのがとっても大事になってきます。

この感覚的な幸せというところからは

思考というのは一切役に立たなくなってきます。

思考を超えて感覚的なところで、もう充分だと認識される感覚です。

 

 

「わたし」という幻想から離れてみると、

敢えてことばにしないそのまんまが幸せそのもだったのだなー

ということが気づきとして感じられると思います。

 

 

こういった感覚は坐禅といったものの功徳(というか妙法)なのだろうと思います。

思考では理解できない予想外の幸せといったものの発見という見方ができる土壌といえるかもしれません。

 

 

 

 

今回から、

禅の研修会のかつての会報紙より引用したことばを追記していきたいと思います。

心に静寂が得られる方法

 生死を忘れる

 貧富を忘れる

 苦楽を忘れる

 二元的な考えをやめること

 死ぬことも生きることも両方忘れると心に静寂が得られます

 白黒どちらかと考えれば心はざわめきます

 あるがままにまかせましょう

 著者の了承を得て転記しています