つながる 海と空と kumo-nami

自我の「わたし」は思うとおりにならないことで悩んだり苦しんだり彷徨います。本来はしあわせ~な心地よさです。それはことばで表現することが追いつかない絶対的な感覚です。なんだか生きるのが辛くて5歳の頃から一度は出家して雲水になってみたいと思っていた風変わり女子がかく気まぐれエッセイブログです。

*【2】 感謝の対象を限定しなくなると

感謝としあわせ感についてかきました 


感謝をとばして、いきなり幸せ感というのもアリです。

 

たくさん働いたり動いたりして、

すごーくお腹がすいてもうペコペコだとします。

走り回って色々と食べものを探してもみつからない。といった折に

ファストフードのお店をみつけて

ワンコインですぐに食べられた「おいしさ」。

「あーーーー、おいしい~」

そのときの感覚は、

「あ~~~、しあわせ~💛~💛」の感覚です。

 

 

仕事帰りにビールを飲んだ一口目の「あーうまいっ」。

その「うまい」とことばを発する前にある、

しあせな感覚。

 

そういった体験を暮らしの中で味わっていきます。

小さいことほど、見落としがちですから

できるだけ小さなものに目を向けてみると

意外とたくさんあるかもしれません。

 

思考の視点からだと

小さいものより、もっと大きいものがいいんだ。

となってしまって

小さいことほどないがしろにしがち。

 

けれども

敢えて見方を変換してみるのがおもしろいのだと思います。

 

 

そのしあわせ感を都度都度、じんわりと感じてみます。

すると

幸せセンサーなる幸せの感度みたいなのが

自然とUPされちゃいますから

小さなことにもしあわせを感じられやすくなります。

 

また坐禅によっても

しあわせの感度がUPされますから、

より感じやすくなると思います。

 

 

そして

その幸せだな~と感じられていることによって、

しあわせが共鳴してきます。

それは期待しないことがお約束で

予期せぬことが起こったりします。

 

もし

まったく同じ出来事が2人に起こったとしても

ある人は、別に普段と変わらない。と思い

別のとある人は、ああしあわせだな~と感じてる。

ということがあります。

しあわせの感度が上がると後者寄りになります。

 

気づいたら

目の前に起こる出来事と、

しあわせを感じられる感度の、

その両者が自然にいい感じになっている。

その時は

はじまりに感謝の思いがもてなかったのが

誰にいわれなくても

自然にありがたいな~という思いが膨らんでいることと思います。

 

 

まとめると

欲望が満たされた時に本来の感覚(幸福感)に戻ります。

欲望をつくって達成することで

欲が帳消しになってしあわせ感が現れるのですが

 

もっとシンプルには

わざわざ欲望をつくらなくても

当初からあるその感覚にフォーカスすることもできます。

 

別に欲望をつくらなくても

そのまんま、ありのままで

たとえ、目の前の状況が変わらずとも

不幸にはならなくて

しあわせ感があるので、

なんとなく

いつもニッコリしている感じです。

 

それを邪魔しているのが思考です。

思考というのは、あらゆる概念です。

 

 

 

 

禅の研修会のかつての会報紙より引用のことば

人生まんざらでもありません

ゆっくり空に目をやってみませんか

すべてのものが無心でそこにあり

いつの間にか

わたし達も無心になっています

「黙」とは無言ではなく

真実の声なのです 

 著者の了承を得て転記しています

 

 

 

 

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