つながる 海と空とkumo-nami

禅や本来の幸せ感について記しています。わたし達は元来の幸せ感(ただ在る感覚)を忘れていることで不安や不満が起こりさ迷います。本来ある感覚の気づきは、しあわせ~な心地よさです。それは言葉で表現することが追いつかない絶対的な感覚です。 なんだか生きるの辛くて5歳くらいから一度は出家して雲水になってみたいと思っていた、ただの寺女子のブログです。

【3】 いまあるもので充分、いまないものも充分

 「知足」について、かきました。

  

 

 

 さらに続きます。

 

欲というものが膨らんでくると

それにつれて思考も多くなってきます。

ありのままの真実をみるのを妨げているのは思考です。

なので

欲や思考はなるべく少ない方が、みやすくなります。

 

そうなるとすぐに

指針の「少欲知足」ということばから

欲を少なくしよう、とか

足ることを知ろう、といったことを

することで

目的をかなえようと行為します。

 

じつは、

それこそが、最大の欲なんですね。

 

足ることを知ろうと、やります。

欲を少なくしようと、やります。

目的達成のために、やります。

それが、捉われを招いていることにお気づきでしょうか。

 

捉われは問題ではありません。

捉われたなーーと気づいたら、戻る。です。

 

 

 

正解も不正解もありませんが

あえて指針の「少欲知足」を実践するとしたら

それは

欲が多いな~ということに、気づく。

足りているのを十分に感じる、感じてみる。

ということです。

 

 

ことばそのものが、行為になると欲になって見事な捉われになります。

しかし

ことばそのものを感じてみる。

もしくは

ことばからほんの少しだけ、意図をくみ取って感じてみる。

となると

それは必ず気づきにつながっていきます。

 

 

「わたし」というのも同じです。

「わたし」が行為すれば、迷いや苦しみにつながります。

しかし

「わたし」が行為しているのを観れば、気づきにつながります。

 

そこで

目的を設定せずに、ただ観るということが

さらに大事なポイントになります。